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「バズる」を知らない妻から学んだこと

タイトル通りなんですが、先日妻に「バズるってどういう意味?」と聞かれました。そこから学んだことを綴るひっさびさの記事です。

きっかけはこちらのツイート。

これを見た僕が給湯器の温度を変更⇒妻に言ってなかったら温度が戻されてたので意図を説明⇒後日妻がヤフーか何かで記事を発見⇒どうして僕が知ってたのか妻から聞かれた際に「Twitterでバズってた」と言うと「バズるって何?」と聞かれる、という流れでした。

これ結構僕には衝撃でした。「バズる」なんてのはそれこそ最早IT分野のエンジニアじゃくても日常的に使っている言葉で、それが通じないとは…しかも一緒に暮らしていて僕とほんの一歩しか離れていない妻に…と(そう感じているのは僕だけで、本当は一万歩あるかもしれませんがw)。

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出典:ジャンプ・コミックス「鬼滅の刃」8巻

しかし、考えてみれば至極当然の事象なのですよね。公私問わず日常的にSNSを使っている僕と、仕事でも使わずSNSも見ていない妻とでは。

数年前からよく「分断」という言葉を耳にします。今回もある種そうだと思うんですが、「本来一つであるべきものが分断されている」と言うよりは「本来分断されているもの」という気がしています。よく「リアルとバーチャル」とか「オンラインとオフライン」といった言い方をしますが、言ってみればSNSと現実は「あの世とこの世」というぐらい別物だと思うのです。あの世でもこの世の話をしますし、この世でもあの世の話をします。ただ、そういった場面―つまり今回で言えば僕が妻に給湯器の話をした時―には、「あの世の話をこの世でしているんだ、だから何か分からないことがあって当然だよな」ぐらいのつもりでいることが大切なのではないかと。「本来分断されているべきものではない」と思っているとそこで「なんで分かってないんだ」とガッカリしがちですが、「そもそも別物」と思っていることで、落ち着いた着実な会話ができるのではないかと思います。分断を失くすのではなく、分断を受け容れる、ことを妻から学びました。

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