臨界パワーモデル(1)

 インターバルトレーニングを数値で管理

 長距離ランニングにおいて、インターバルトレーニングは走力向上のために必須のアイテムとなっています。そのペースや回数を決めるのに、以前は明確な指標がありませんでした。それを解決したのが、アメリカ人ランニングコーチが出した書籍で、邦訳も出ている「ダニエルズのランニング・フォーミュラ」です。この書籍によって、個人の走力に応じてインターバルトレーニングをどのくらいのペース、持続時間、回数でやればよいかが明快に分かるようになりました。

 この本はまず2012年にオリジナルの2版が邦訳され、しばらくして絶版になると中古本が高値で取り引きされるようになりました。出版社が考えている以上に、根強い需要があったということでしょうね。2016年にやっと第3版の邦訳が出て、ダニエルズを渇望していた層には恵みの水となりました。インターバルトレーニングの疾走部のペースが秒単位で指定され、回数などについても週間走行距離から計算してくれるなど、いたれり尽くせりの指導書です。根底に流れるのは故障を防ぎながら鍛えるということのようです。

実は影響力が大きいインターバルトレーニング

 一方、インターバルトレーニング自体は1990年代からランニング業界以外の持久力が必要なスポーツにも普及していきました。サッカー、クロスカントリースキー、水泳、格闘技、ラグビーなど様々な分野に及ぶようです。そのあたりは2019年1月にアメリカで出版された「Science and Application of High-Intensity Interval Training: Solutions to the Programming Puzzle」に記述されています。タイトルを直訳すると「高強度インターバルトレーニングの科学と応用:プログラムパズルの解決策」という感じでしょうか。「持久力をアップさせるためにはインターバルトレーニング」が必要だというのは、スポーツ界の常識になっているようです。この指導書はひたすらインターバルトレーニングに深入りしたもので、邦訳が待たれますね。

 書籍のタイトルに使われている「高強度インターバルトレーニング」は、2012年ごろにバズワードになりかけました。きっかけはカナダのマクマスター大学のマーティン・ギバラ教授の「Physiological adaptations to low-volume, high-intensity interval training in health and disease」というレビュー論文が The Journal of Physiology に載ったあたりです。ギバラ教授は運動生理学者として糖尿病の運動療法を研究していて、「高強度なら短時間でも低強度長時間と同じ効果が得られる」点に注目しました。多くの学者からその証拠となる人体実験やメカニズムに関する論文が続々と出ており、レビューを出すに至りました。

糖尿病からアスリートへ

 高強度インターバルトレーニングが運動選手にも役立つのではないかと考えられたのは自然な流れで、 わが国でも2013年に発売された「体育の科学9月号」で「全身持久力を高めるトレーニング:HIT」という特集が組まれました。HITというのは「High-intensity Interval Training」の略語です。一方で、陸上競技にとっては、インターバルトレーニング自体は古くから取り入れられており、目新しさはありません。特集まで組まれた理由は、高強度インターバルトレーニングが持久力の向上につながる仕組みとして、ミトコンドリアの活性化にかかわる遺伝子の転写調節因子を特定したことでしょう。この号にはギバラ教授のレビュー論文を起点として、スポーツのトレーニングにどう生かせるかのような論考がいろいろな専門家から出されました。HIITという略し方もあって、どっちかというと今はHIITの方が優勢です。

 この雑誌の投稿者の一人に名を連ねていたのが立命館大学の田畑泉教授です。その名を聞いてピンときた人はかなりのトレーニングマニアですね。アメリカではタバタ式トレーニングとしてかなり知られているようです。私のお気に入りのカナダ人のランニング科学ライターであり、日本でも「良いトレーニング、無駄なトレーニング 科学が教える新常識 」が上梓されているアレックス・ハッチンソン氏も「〇〇学会で田畑さんに会っちゃった!」とツイートするくらいアイドルな存在にもなっている方です。

タバタ式トレーニング創始者も巻き込まれ

 田畑教授本人も言うように、日本のスピードスケートの練習方法を研究し、「20秒10秒」という練習方法を発見しました。発明でなく発見というところがご本人の謙虚なところです。実は私もトレイルランニングで捻挫をしていた時にエアロバイクでクロストレーニングをしていて、この方法を取り入れた年にマラソンで自己ベストが出たのでよく覚えています。なぜ取り入れたかというと、前述の「体育の科学」をたまたま読み、いたく感銘を受けたからです。

 ギバラ教授は30秒全力6分休みという彼が論文を書くために採用していた手法を推していました。30秒を全力というのは、もともとウインゲートテストという無酸素性代謝の能力をエアロバイクを使って測定する方式で、田畑式とは異なります。両者に共通しているのは、疾走部はかなりの強度になり、ダニエルズのレペティション用ペースよりもきつい。

 だからこそふつうのインターバルトレーニングよりきつい「高強度」インターバルトレーニングなんだとぼんやり理解していました。

 この理解は実は間違っていて、「高強度インターバルトレーニング」は陸上競技で取り入れられている「インターバルトレーニング」と同じものでした。疾走部とそれに続く緩走部またはレストを繰り返すあれです。マラソンの練習には本番と同じ42キロを走るべきなんだけど、それをやっていると時間もかかるし故障のリスクも増えるので、もっと速いスピードで、短い距離で、短時間にすませて効率を上げようということです。

高強度の境界、MLSSを理解すべき

 その時に「高強度」をどうとらえるのか。どこかに基準があって、それ以上を「高強度」と呼び、それ以下を「非高強度」と呼ぶのか。さきほどの未邦訳の「Physiological adaptations to low-volume, high-intensity interval training in health and disease」は現時点のまとめみたいになっていて、高強度とそれ以外を考える境はMLSS(the maximal lactate steady state)ということになっています。MLSSはMAXLASSと表現されることもあります。この強度より高いのと低いのとでは、体内の生理反応が大きく異なります。どうすればMLSSは測定できるのか。乳酸作業性閾値(いわゆるLT)とは何が違うのか。ダニエルズの「Threshold」ペースとの関係は。その辺の話を次回からボチボチ綴っていきます。

 タイトルの「臨界パワーモデル」というのは、このMLSSを決定する際に重要になる考え方です。

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