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シンガポール華人の土着化とアイデンティティ

東南アジアの華僑

古来、中国南方沿岸部の多くの人々は、頻発する中国本土の飢饉や疫病などの災害から逃れるようにして、東南アジアに移住してきていた。

彼らは永遠に東南アジアに留まっていたわけではなく、中国に帰るものも多くいたようであるし、どちらかといえば一時しのぎのような感覚であったようである。
彼らは基本的に貧困に悩まされていたが、東南アジアで一獲千金の機会を得て、一定の蓄えとともに中国本土へ帰っていく。これが、海外に暮らす中国人である「華僑」のルーツである。

華僑の人々は、様々な困難に耐え忍び、勤勉に労働する強靭な性格を持っており、商才にも長けていた。
その末裔である中華系の人々が、今もなお東南アジアの政治やビジネスなどあらゆる分野で、確固たる地位を築いている所以であろう。

中華人民共和国成立による、中国系移民の土着化

これはシンガポールに限った話ではないが、中華人民共和国の成立後は、東南アジアの華僑(overseas Chinese)は華人(ethinicity Chinese)へと変容していった。
すなわち、「海外にいる中国人」から単なる「民族的に中国系の現地民」となったのである。

これは、中華人民共和国の成立により、東南アジア各国は共産主義に傾倒する中国系移民に警戒感を強めたことが背景にある。
東南アジアでは太平洋戦争中に抗日戦争を繰り広げるなかで、共産党が現地の人々の支持を集めて勢力を拡大していった。
戦後も、共産党は大きな力を保持続けていたことから、東南アジア諸国は、これ以上共産党の息がかった中国からの移民が増えることで共産主義が拡大していくことに危機感を覚え、中国移民の受け入れを禁止したのである。

2000年以上も続いた中国移民の流動性は著しく低迷し、東南アジアの華人コミュニティと中国本土は完全に分離されることとなった。
その後、現地で生まれ育った2世、3世が誕生することに伴い、自然と華人の土着化が進んでいった。
かくして、シンガポールの華人は、血統としては中国系ではあるものの、社会的にはシンガポール人という別の国籍をもつ人間として、別の道を歩んでいるわけだ。

彼らが自認するアイデンティティも、シンガポール人として形成されたものであり、自分は中国人なのか、という疑問も持たないであろう。
特に中華人民共和国は、共産党イデオロギーが色濃く反映されていることから、より中国人に同郷意識を持つことは難しくなっているように思う。
これは台湾アイデンティティや、香港アイデンティティにも関連する話だと思うが、より強権的な赤い姿勢を見せつけるほどに、本土の外にいる中国系は、拒否感が生じているのではないだろうか。

(このトピックはまた別の機会に整理して考察してみたい。特に香港とシンガポールは、英国統治を経て世界に繋がる中国系の金融センターとなった点で相似しているが、中国本土との関係では大きく異なっている点は興味深い。)

以上が、シンガポール華人が独自のアイデンティティを持つに至った簡単な歴史背景である。
20世紀からの華人の土着化が、シンガポール人としてのアイデンティティ形成に至っていると思えば、このアイデンティティの確立は、かなり最近のことだ。
日本人の我々からすれば、数世代前の祖先が別の国に住む人間だったということを想像することは難しいが、移民国家では寧ろ普通のことなのかもしれない。


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