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speechless

ある一定のコントール下で、
突発的な激情を、連続的な理性が冷やす。

感情のカルノーサイクル。
繰り返すことで、私を保つ。


激情の理由や原因は、
思いやりのない、不誠実な、無責任な言葉や行動で、
私を含め、誰かが傷つくこと。

特に、私の近くにいる大切な人たちが、
傷つけられるのは、私にとって耐えがたい痛み。

見聞きするだけで、私の激情が増幅され、痛みが増す。
その痛みは、理性で鎮静するが、
欠片は、未だに私の中にあり、消えない。


いつも同じ原因で傷つけられると、
いつの間にか、痛点が壊れる。

壊れたはずだが、痛みは重なる。

やがて、その原因が日常と錯覚し、
諦めと共に、慢性化する。


私の中にある、慢性化した痛みに気付くのは、
いつだって、私の近くにいる人のおかげだ。


近くにいる人の声なき声や叫びを聞くと、
まるで、ヒーロー/ヒロインにように、
私の正義と言う名の激情が再燃し、
慢性化した痛みが、取り戻したように、激しさを増す。




「どうなっているんですか…!?」


後輩の一言が、私の激情に点火してくれた。


彼女は、続けざまに怒りを露わにした。

「添削は返ってこない。約束は覚えていない。対応は遅い。お忙しいのは、分かっていますが…一体、どうなっているんですか…!?」

怒りの矛先は、指導教員だった。


私は、これまで幾度となく、聞いたことのある、
叫びに、耳と心を傾けた。


過去にいらっしゃった先輩も、
私の同期たちも、
同じ事を仰って、研究室を卒業された。


先輩方の声が、
同期の声が、
後輩たちの声が、
私の肩に重くのしかかっているかのように、
私の体は、痛みに襲われた。


次の日は、起き上がれなかった。


起き上がれない中、後輩の言葉を反芻していた。


その中で、後輩は、

「もうたくさんです」


と言っていたことを思い出した。


途端に、不思議と起き上がる力が湧き、
さっきまでは、重くのしかかっていた声たちが、


『このままではいけない。だから、起き上がって。』


と囁きながら、
私の手を握り、
私の腕を引っ張り、
私の脇を持って、
私の体を起こそうとする。


彼らの力を借りながら、立ち上がる過程で、

私は、激情に駆られながらも、静かに思考を巡らせた。


あくる日の朝は、とても眩しかった。




先輩と後輩に声を掛け、
彼らと一緒に、指導教員の上司の元へ行った。

そこで、状況をありのまま伝えた。

上司は、
「状況は把握した。彼(指導教員)には、機を見て、指導する。」
と言ってくれた。


私は、一先ず、安心したが、
私の痛みは、まだ続いていた。




指導教員は、指導を受けて、反省したのか、
数日後に、私たちを集めて、謝罪した。


しかし、私の悪い予感が的中した。


「コミュニケーション不足が原因だと考えている。」


違う。全く以て。


私も含め、学生は、自分の立場を弁えて、

何も言わない/言えなくて、

ただ、ずっと静かに戦っているだけ。


コミュニケーションではない。


信頼の欠片もない人からの、

「何でも言ってくれたらいい。」

を誰が信じようか。


私は、激情を敢えて抑えずに、
「コミュニケーション不足が問題ではない」
と強く訴えた。


すると、彼は、少し苛立ちを見せながら、言い訳を繰り広げた。


痛いところを突かれて、食って掛かってきたのか。
そう思うと、愕然とした。


こんな人のために、黙って耐えていた人を考えると、
急にバカみたいに思えた。


だから、最後の力で、
学生を開放する一手を放つことにした。


「では、何でも先生に申し上げてよろしいのですね?」


彼は、即座に、頷いた。


そして、私は、大きな声で言った。


「みんな、何でも先生に言って良いらしいよ。」


私は、悪役になり切れただろうか。




こんなことだけで、改善するなど、思っていない。


だけど、もうたくさんなのだ。

もう黙ってなどいられない。


I’ve had enough, I’m not a freak.
I just keep fighting to stay cool on these streets.
I’ve had enough, enough, enough.
And this is my prayer, I swear.

~ Hair (Lady Gaga)~




ここ数日に起きたことを、書かせて頂きました。

激しい表現、不快にさせる表現があったかもしれませんが、
ご容赦ください。


最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。

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