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1.心から笑顔で褒める

私は、イヌとの関係づくりで使われる「しつけ」とか「オビディエンス(服従)」といったワードが好きではありません。これらの言葉には社会的優劣が潜在しているからです。

今から120年前の1903年にウィーンで生まれたコンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)は、ヒナ鳥の「刷り込み」現象発見の一翼を担い、ノーベル生理学・医学賞を授けられた生物学者のひとりです。彼は、著書「人イヌにあう 小原秀雄訳 早川書房 2009年」で、イヌの訓練についても触れています。内容は目を覆いたくなるような記述に溢れていて、今となっては劣悪図書の誹りを免れ得ないと思うくらいなのですが、欧州でさえも、半世紀前はヒトとイヌのこんな関係づくりが当たり前だったのでしょう。変移プロセスの一部と考えて批判的に読むのであれば、優れた成書だと思います。

ただ、こうも書いています。
「まず最初に、褒美と罰の問題である。後者のほう(罰)が前者(褒美)よりも有効だと考えるのは、基本的な間違いである。イヌの訓練の多くの面では、とくに家庭での訓練では、罰の助けをかりずに教えるほうがずっとよい」

イヌとの関係づくりでは罰よりも褒美の方が効果的である、という思考は、当時、異端説だと白い目を向けられていたのかもしれません。

翻って現代。未だに犬との関係づくりで「罰」を多用する愛犬家が多いのも事実です。「ヒトはイヌよりも上位の動物」という意識がこびりついているのか、うまく関係がつくれない自分へのいらだちからなのか、「叱るのも愛情の裏返し」などと自分を信じ込ませて大切な家族に「罰」を使ってしまうようなのです。イヌとの関係づくりは、ヒトが変わらないことには変わらないのですが、ヒトが変わることのむずかしさを実感しています。

褒めて育てる教育は、今や、ヒトの幼児教育では当たり前になっていますし、イヌの教育でも次第に浸透はしてきています。叱って育てる教育など、特に仔イヌにとっては百害あって一利なし、飼い主のうっ憤晴らしにしかなりません。罰を使ったり叱ったりしてできあがったイヌとの関係なんて、たとえイヌが何でも言うことをきくようになったところで、何の価値もないと思うのです。

ただ、「褒める」と言っても、そこに「褒めればその行為が増える」という計算が働いているのであれば、それはイヌに見透かされます。イヌは取引には応じてくれますけれども、そのヒトと良好な関係を結ぼうとは思いません。計算が働いている時のヒトの笑顔と本心からの喜びを伴っているヒトの笑顔は、ヒトでもすぐに見透かしますけど、イヌもまったく異質のものと捉えているのでしょう。

「そこに(ゆがんでいない)愛はあるんか?」ということなんです。

WIZ-DOGは「褒めて教える」を理念の大黒柱に据えていますが、叱って育てることしかできなかったヒトたちには、「イヌを叱らずにしつけられるわけがない」と白い目を向けられているのかもしれません。


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