自己責任論で病まないために(自戒)

自分で自分の人生の責任を負えると考えるのは、今ガッツリしっかり働けているからだ。これからどんな病気になるかもわからないし、どんな事故で働けなくなるかもわからない。コロナのような全世界的厄災を誰に責任が負えると言うのか。

すべてを「生産性」(=稼得能力)のあるなしで片付けるのも非常に暴論だ。確かに稼得能力の高い人ほど保険金の支払いで逸失利益は高くなるかもしれない。ただ、現時点でどんな仕事をして給料が低かろうと、その人はなろうで多数の読者を魅了している作者であるのかもしれない。これから新しい価値を生み出す人かもしれない。現時点での逸失利益のあるなしで生きる価値を述べるのは全く次元が違う話だし非常に危険な論理だと思う。さらに言うなら、何か価値を生み出すからこそ生きている価値があるとする考え方は、敷衍すれば植松の言っていることと何も変わらない。夕飯がうまいから生きる、それでいい。

何の理由もなく病みそうになったら、自分で自分に刃を向けうる自己責任論がいかにおかしいか論理だてて考えた人の意見を読んで落ち着けば、ただの「責任転嫁論」だと言うことが容易にわかる。

私が生きるためには多数の社会的リソースが使われている、それは確かだ。私が現時点で社会に貢献するリソースと比べれば確かにプラマイで言えばマイナスかもしれない。しかし、自分がいなくなったところで社会は何も変わらないしお礼を言ってもくれない。それどころか社会は「人に迷惑をかけるぐらいなら一人で勝手に死ね」と最高最悪最低に冷たい。クソッタレな世の中でも、自分の生きる意味は自分で決める。

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