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資料室(人名)#3: 「ロバート・フォーチュン」 <ー 史上初の産業スパイ? 彼のお陰で世界中で紅茶がやすくのめるようになりました(笑)

今回は「ロバート・フォーチュン」について見て行きましょう。

なんと、アヘン戦争あたりまでは時に中国から高値で買わされていたお茶でですが、お茶の種や苗木、栽培道具などを中国から勝手に持ち帰り、そのお陰で世界に紅茶が広がりました。

人呼んで、世界最初の「産業スパイ」事件?

ダージリンティーの起源がここにありました。

中国からしたら、国家機密を盗んだ「このヤロー」状態...

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イギリス人ロバート・フォーチュンのお茶の産業スパイ活動


ロバート・フォーチュンは19世紀に活躍したスコットランド出身の植物学者であり、プラントハンターとしても知られています。彼はイギリス東インド会社の依頼で中国に渡り、茶の栽培技術や製法を秘密裏に調査し、インドへの移植に成功しました。

1. 時代背景

18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスは中国から大量の茶を輸入していました。しかし、清朝政府は茶の栽培技術や製法を厳格に管理しており、外国人に公開することはありませんでした。そのため、イギリスは常に中国に依存する状況にあり、安定した茶の供給確保が課題となっていました。

2. フォーチュンの活動

東インド会社は、この課題を解決するために、フォーチュンを中国に派遣しました。フォーチュンは中国語を習得し、中国の商人や農民に扮して茶産地を調査しました。彼は茶の栽培方法や製法だけでなく、茶の種類や産地、市場流通に関する情報も収集しました。

3. 帰国と成果

フォーチュンは数年間の調査活動を経て、茶の種や苗木、栽培道具などをイギリスに持ち帰りました。そして、インドのアッサム地方やダージリン地方で茶の栽培を試みました。彼の努力は成功し、インドはその後世界有数の紅茶生産地となりました。

4. フォーチュンの功績

フォーチュンの活動は、イギリスの茶産業の発展に大きく貢献しました。彼の功績により、イギリスは中国に依存することなく、国内で安定的に茶を生産できるようになりました。また、インドの茶産業の発展は、インド経済の活性化にも貢献しました。

5. 評価

フォーチュンの活動は、産業スパイとして批判されることもありますが、彼の功績は茶の文化を広めたという点でも評価されています。彼の活動によって、茶はイギリス国民の日常的な飲み物となり、世界中で愛されるようになりました。

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