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明日の種をまく 012_20230913

他人の課題に手を出すな(根性不要論)

私は人が好きだ。
でも私は人に興味がない。
この矛盾した問題をどう説明しよう。

私なりの言い方をすれば「人を尊重する」。
それが適当な説明になるだろうか。

「頑張れ」という言葉は好きだ。
でも本気で「頑張れ」とは思っていない。
なぜならその人の「頑張る」ペースは私と違うから。
応援するけれど「もっと頑張れ!頑張らないとダメだぞ!」とは言いたくない。

「頑張ってください」という言葉を受ける時、嬉しいなぁ~と思う時もあれば、大きなお世話だと憤慨してしまうこともある。
それはその人の「頑張れ」に含まれた気持ちをこちらが自然に汲んでしまうからだと思う。

「努力している人」も好きだ。
努力をしている人を見ると元気がもらえる。
一緒に並走している感がある。勝手に同士だと思ってしまう。
でも努力をしてなさそうに見える人に「努力するべきだ」とは思わない。
なぜならその人の勝手だから。
休みたいときもあるさ、目標だってあったってなくなったって、その人は一生懸命いまを生きている。
一生懸命?に生きていなくたって、生きているだけでそれはとても尊いことだ。

私は自分が上から発言するようなことをたびたびするクセに、人が他人に対して上から物を言っているような場面に出くわすと異常に腹を立ててしまう癖がある。
「あなた、何様ですか!」

自分が頑張る分にはいい。
人を応援する分にもいい。

でも人が自分の思うようにいかないからって、相手に自分の価値感を押し付けることだけは許せない。
「こうした方がいいですよ」
そのアドバイスは優しさだ。
「こうすべきです!こうしないとダメです!あなたはダメです!」
みたいなのは、いやいやいや・・・・そんなことを言っているあなたが私はダメだと思います!!と思ってしまう。

勉強でも仕事でも、頑張る必要などないのだ。
まずは楽しめ。
楽しんでいるうちに、それを続けてみようと思う。
続けているうちに、やれることが増えてくる。
やれることが増えると自信もつく。
自信がついたら、自分で頑張れる。

そうやって見守りたい。

自信のない人に、いくら頑張れ、どうすべきだと言ったところで、ただただあなたはダメな人です、とさらに自信をなくさせてしまうだけだ。

私は頑張り屋さんでも何でもなくて、ただ好きなことをちょっとずつ続けているだけ。
誰に褒めてもらおうとか応援してもらおうとか、そんなことは思っていない。
自分が信じることをコツコツと。
自分なりの誠意で、自分なりの優しさと思いやりで、自分なりのペースで、自分のできる範囲で。

それって人も同じようなことなんじゃないかな。

みんな必死で生きている。
赤ちゃんだって、子どもだって、大人だって、高齢者だって。
それぞれの環境で、自分なりに頑張っているんだ。

私はそういう人たちをそっと応援したい。
見守りたい。

うぉんのすけさん「愛情だけでは人は育ちませんよ」
そうかな?本当にそうかな?
人を育てる、教育する、指導するってどういうことだろ?
私にはまだまだ分からない。

赤ちゃんだってちゃんと一人で頑張ってますよ。
自分でできないことは泣いて知らせる。
お腹がすいております。このままだと死んでしまいます。どなたか我にご飯を~
この衛生環境ではまたもや病気の可能性が高くなります。どなたか我のおむつを新しいものに変えてくだされ~
やれることをやっている。
だって動物だもの。

仕事上での子ども支援でのストレスでは決してありません。
どちらかというと普段の大人同士の会話?
とにかく「人の課題に手を出すな」と言いたくなる案件発生。
うぉんのすけよ、それが大きなお世話なのじゃよ、ははは。

結局、noteでストレス発散(笑)

上からものを言っている人を受け入れられない私は、まだまだ懐が小さい。
それもその人の価値観だ。他人に自分の価値感を押し付けることが一番良いと思っている、その人の価値観だし、生き方だ。
そういう人(自分の苦手と思う人)も受け入れて、尊重して初めて一人前である。まだまだだな、うぉんのすけ。

ただのストレス解消記事でした~


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。



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