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家康と信長のゆかりの寺を巡る

 久能山東照宮を参拝して、静岡にもどって来て、駿府城公園に行き、浅間通りをぬけて静岡浅間神社を参拝、さらに麻機街道をさかのぼって、臨済寺まで足をのばしてみました。
 麻機街道のところどこには、すでに4年が経っているのに「今川義元生誕500年」の色文字が少しかすれて残っていました。やはり今川家の地元なのだと思いました。

 臨済寺は、その駿河の戦国大名・今川家の菩提寺で、今川家の人質となっていた、徳川家康の幼いころの竹千代が、住職の太原雪斎から教えを受けた「手習いの間」があるそうですが、公開されておらず、境内を参拝し方丈を拝観できただけでした。

 それでも、臨済寺は落ち着いたたたずまいで、凛とした感じのする寺でした。寺の門の両脇には蓮の花が咲き、門をくぐると、長い石段が続いています。その脇にも白い蓮の花が植えられていました。

 石段を登ると、白砂のなかに一本の石畳の道が真っすぐに方丈に延びています。参拝してから道をもどって来ると、夕刻の読経の声とともに鐘の音が鳴り響きます。

 まさに500年の時空をこえて響く鐘の音と感慨が深まります。


 翌日、京都へ移りました。宵山の真っ最中でしたが、宿から強い日差しを極力避けながら鴨川に沿って上がっていきました。青空のもと、鴨川の水量がいつもより多い感じで、せせらぎの白さが鮮烈です。

 出町柳までさかのぼり、ふたばで豆餅を買い頬張りました。甘味が抑えられていて美味しいです。

  そこから阿弥陀寺まで足をのばしてみることにしました。

 阿弥陀寺は寺町通りに門を構えていて、本堂の横を通りぬけていくと、織 田信長の墓がありました。左隣には息子の信忠の墓もあります。左側には、森蘭丸の墓がふたりの弟の墓とともにひっそりと佇んでいます。蘭丸、享年18歳、若き死です。

 信長のゆかりの清玉上人が、本能寺の変で討ち死にした信長やその家臣の首を持ち帰って弔ったそうです。

 天正10年(1582)6月2日、早朝、本能寺の変。

 ここでも、400年以上の時空を超えて無言の声が聞こえてくるようです。わたしは、信長の死もさることながら、若くして討ち死にした森蘭丸に思いを馳せます。

 その夜、京は宵山。
人が多いのに驚きましたが、
拙著『粟田、色絵恋模様』のなかで13歳の舞妓の千恵とお民が対峙する巽橋の夜景が灯火を川面に映して綺麗でした。

 川床の立ち並ぶ鴨川の夜景とともにご覧いただきたいと思います。


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