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子どもが危険な遊びをするときに必要なのは心の命綱

「楽しいところに連れてってあげる」
と急に目隠しをされ
連れて行かれた先が
バンジージャンプのジャンプ台
だったらどうするだろう?

テレビで芸人さんがやっているように
まず「無理無理無理!」
と言うだろう

さぁ! 今すぐ飛ぶんだ!
楽しいから!
飛べるとヒーローになれるよ!
怖いなら背中押してあげるから!

と言われても

私なら絶対に飛ばない。

それから、バンジーをしないって
選択肢を探すために
話をしたい

どうしても飛ばなきゃいけないとしても
なぜ飛ばなければいけないのか
説明して欲しいし
納得した上で飛びたい

飛んだらどんな感じか
誰か見本で飛んで欲しいし
自分のタイミングで飛ぶから
絶対押さないで欲しい

きっとそう思う

でも、もっと文句をいうなら
バンジーすることが
決まった時点で相談して欲しいし
まず低いバンジーから練習したい
グーグルで調べまくるだろうし
なんならちょっと減量する

とにかく急に身体的にも精神的にも
準備ができていないのに
やれ! と迫られても
楽しくもなんともない
恐怖しかない

きっと子どもにとって何か
新しいことに挑戦する気持ちは
バンジージャンプくらい怖くて
準備のいるものなのかもしれない

なぜ危険な遊びをするのか?

フィンランドの幼児教育コースで学んだ
”子どもはなぜ危険な遊びをするのか”
という講義がとても興味深かった
前回のブログでも書いたように
子どもというのはワザワザ危険な遊び方をする
スリルを楽しんでいるということはわかるが
それがどのように影響するのか初めて腑に落ちた

子どもは急にとてつもない恐怖に立たされた時に
身体的にも感情的にもまだ準備ができていなかったり
大人がプレッシャーをかけたり
リスクに挑戦するように勧めたりすると
リスクではなくトラウマになる可能性がある

だから自分でコントロールできる量の
恐怖をわざと自分で体験して
練習している

言われてみればそうだ

小学生の頃、学校の怪談や恐怖新聞など
ホラーはニガテだったのにわざわざ
図書室に借りに行った

1,2歳の子どもでもある時期から
「オバケ怖い」と言いつつ
オバケの出てくる絵本に
ハマったりする

怖いものみたさとはつまり

自分が受け止められるだけの
恐怖のラインを調節しているのだ


大人が気をつけること

1つ目に
何か子どもに挑戦してほしいと思ったら
「私は今、急にバンジー台に
 立たせていないか?」
と振り返ること

以前高いところが怖いと泣く男の子に
「男だろ! がんばれ! とべ!」
と励ますお母さんを見たことがある

小学校の組体操で怖いと言っているのに
体が小さいからという理由で
人間ピラミッドの頂点に立たされる子もいた

それは大人が無理矢理バンジー台に
立たせている状況だ
その子の恐怖のボーダーラインを
勝手に大人が変えてはいけない

2つ目に
自分の持っている当たり前を
もう一度見直すこと


以前、野外保育をしている友人に聞いて
驚いたことがある

外で焚き火をした時に
体験でやってきた4,5歳の子が
「キレイ〜」
と言いながら火に触ろうとしたそうだ

「危ない!!」と慌てて止めたため
ことなきを得たそうだが
火を触ったら危険だと
そのくらいの年齢ならわかっていると
思ったらしい

でも、その子は都会で生活していて
キッチンもIHだったため
今まで本物の火を
見たことがなかったという

何が危険なのか知らない子どもに
危険な遊びが必要だからと
急になんでも挑戦させることは
『危険』すぎるのだ

今までほとんど外で遊んだことがない
子どもは車がなぜ危険なのか分からないし
刃物を見たことがなかったら
切れることも知らない

知らないということほど危険なものはない
でも、ずっとこれらを避けて
生きていくことはできない

だから大人と一緒に
体験していくことが必要なのだ

そうやって子どもたちは
”安全に危険な遊び”ができるように
するための方法を学んでいく


バンジージャンプも頑丈な命綱が
付いているから飛べる

私は子どもに安心して飛べる
心の”命綱”をたくさん
増やしてあげたい

yakko


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