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私とばぁばとお母さんと、繋がらなかった命の話


今回の話はとても個人的な話だ。
(私のnoteはほぼ9割くらい個人的な話なのだが)


長くお付き合いいただいている読者の皆様はご存知の通り、私は心理職として割とシリアスな機関に勤めている。のだけど、最近何年かぶりに「あ~これはアレだ、うつの手前きてるわ」という状態にあった。

うつって基本的に真面目な人がなるものだ。一生懸命に生きて、いろんなものをまともに受け止める人がなるものだ。
だから自分には縁遠い病だと思っていた。(私に診断がつくとしたら、パーソナリティー障害か解離性障害ってところだ)


でも、気がつくと空を見つめて1時間が経っていたり、ふとした瞬間に涙が勝手に溢れて止まらなかったり、マンションまで帰ってきたはいいけれど家のドアがどうしても開けられずに1階のラウンジで2時間座っていたりしている自分を(客観的に)見て、あれっとなった。

死に関するとりとめのない思考を反芻し、「あ~また死ぬこと考えてるな~、でもまだ具体的企図って段階じゃないから大丈夫」と思ったり。

自殺未遂して入院してきた患者さんが、周囲の温かい支援に対して、「いやそういうんじゃなくて、もう死んじゃった方が早いんです」と言うのを聞いて、このかた上手いこと言うな~、私もまさにそう思ってたとこなんですなんて(絶対に口には出さないけど)共感したり。


***

そんななか、ふとしたことでDMをやりとりしていた女性のかたが

「つかふる姐さんの刹那的に生きてるとこが大好きです」

と、書いて寄越して下さった。

“刹那的に生きてる”とは、また絶妙な形容だ。
きっと私の文章を長いこと読んできてくださったのだろう。嬉しいけど恥ずかしい。


私は自分というものにほとんど絶望しかけていたから、

彼女に、「つかふるさん、別にそのままでも生きてていいと思いますよ」って言ってもらえたような気がして、 とてもとても、とても救われた。(本当に救われました。ありがとうございます)

***

私は心理の専門家としてお金をもらっているくせに、自分の心理機能はまるでポンコツだ。正直に告白すると、私よりポンコツな人ってあんまり見たことない。(最重度の患者さんのいる閉鎖病棟の中でさえ)

だから成功者の立ち位置から「私みたいに超絶幸せに生きるには♡」とか、「私みたいな愛され女になるには♡」「私みたいに最高の人生を送るには♡」みたいなことが言えない。(セックスくらいだ、セミプロなのは)

私が言えるのはせいぜい、「地獄からどうやって這い出るか」「絶望の淵からどうやって人並みに生きるか」ということだけだ。(私のベストセラーnoteも、勝ち目のないセフレ沼からの脱却→妻になるにはというやつだった)

でも。 
だからこそ同じような地獄で苦しんでいる人のために、noteを書こうと思ったんだと思う。
この経験が、誰かがその人の地獄から抜け出す時の手すりやガイドや杖になったらいいなと、noteを書いてきたんだと思う。

前置きが超長くなったけれど、つまり今回もそういう話だ。

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