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歴史の流れと物語のあり方

こんにちは。あすぺるがーるです。


皆さんは、一昔前の物語を見聞きして違和感を感じたことはありませんか?



数十年から数百年前を舞台にした物語は、しばし現代とは異なる文化や価値観を含みます。

私たちは、それをどのように受け止めればいいのでしょうか。


「昔」と「今」の混同

昔、特に昭和~明治時代を舞台にした物語は、しばし非難を受けることがあります。

『風立ちぬ』に日本禁煙学会が要望書「なぜこの場面でタバコが使われなくてはならなかったのでしょうか」

これは「肺病患者の前でタバコを吸ってはならない」「学生にタバコを勧めてはならない」という観点から、作中の喫煙シーンに苦言を呈したものです。


しかし私は、このような風潮を疑問に思います。


「昔」への非難で失われるもの

今では正しくないものとされている「昔」の描写を徒に非難することは、「昔」の表現や「昔」への認識に大きな悪影響を与えます。


少し前まで存在した文化

今では良くない、規制・排除されるべきものとされている考えも、数十年から数百年前には「常識」でした。

「風立ちぬ」の喫煙シーンもそうです。


もちろん現代において禁煙・減煙・分煙化の流れが進んでいるのは、かつて喫煙が当たり前だったことによって、多くの健康被害が出たからに他ならないでしょう。

しかし、「かつて男は喫煙するのが当たり前だった」という事実の表現を否定するのは、その事実の存在自体をなかったことにしてしまうことを意味しています。



過去に確かに存在した事実をなかったことにしてしまうのは、過去に対してとても無責任で不誠実なことです。



例えば、あなたが遅刻でとても悩んでいたとしましょう。


ある日突然、どこでもドアがある時代の人間が目の前に登場し

「お前遅刻なんてしてるの? ダッサ」

って言ってきたら、あなたはどう思いますか?


よほど寛大でない限り、腹を立てることは間違いないでしょう。

だって今の時代にはどこでもドアなんてなくて、どこかに行くには頑張って移動しなくてはいけないのですから。



過去の事実の存在否定は、上の例であなたが未来の人にされたことを、そのまま過去に向けるに等しいことです。


また、過去の事実の存在否定は、その事実に基づいた現代の進歩を妨げることにも繋がってしまいます。

もし過去に男性の多くがタバコを吸っていたという事実がないことにされてしまったら、タバコによる健康被害の大きさや重大さも分からなくなってしまいます。


「昔」の表現の否定は、「昔」の存在そのものを否定し、「昔」から続く現代の否定をも意味するのです。


「昔」の表現に託された主張

「風立ちぬ」の喫煙シーンに関しては、以下のようなブログ記事も書かれています。

なので時代背景以前に、この映画でのタバコは、「死への予兆」、「現状への苛立ち」、「燻る戦火」、「命を削っても創造を続けるためのもの」の暗喩であって、あれを観てタバコを吸いたいという気持ちになるものではないと思うんですよね。風立ちぬとタバコ

これらの暗喩は「風立ちぬ」のメインテーマにとても近い主張です。


そのため、喫煙シーンへの非難は「風立ちぬ」の作品自体の存在を大きく揺るがすものになってしまうでしょう。


ひとつの主張を強く伝えるにあたって、「昔」の描写は重要な役目を果たします。

ただただ「戦争反対」と叫ぶのと、「音楽が消え、食事も限られ、目の前で人が燃えていった…」と言われてから「だから戦争反対」というのとでは、伝わり方が全く違います。


「昔」の表現の否定は、時代モノの作品の存在を危うくさせてしまうものなのです。


「昔」の鑑賞において大事なこと

「昔」と今は違う

時代モノの作品について公言するにあたっては、たとえ実感が湧かなかったとしても「現代と『昔』は違うことだらけ」なのを肝に銘じる必要があります。

作品を鑑賞して何を思うかは自由ですが、公的な批判にあたっては、作品の時代背景を調べるのを怠ってはなりません。

時代背景の知識があるかないかで、捉え方が真反対になることもあるのです。


「昔」と今は繋がっている

高校の現代文の教科書に、森鴎外の「舞姫」が掲載されたことがあるのはご存じですか?


高3の受験シーズン真っ只中のころ、現代文の先生が「舞姫」の授業に力を入れていたことを、今でもはっきりと覚えています。


「舞姫」も、時代背景の認識の違いで解釈が大きく変わってしまう作品の一つです。

時代背景を知らないで読むと

となりますが、時代背景について調べてから読むと、そうも言ってられないことが分かります。



「舞姫」の時代には、どれだけ妻を愛していても、仕事より家族を優先させることは糾弾の的にしかならないことでした。



著者の来歴と豊太郎の来歴の奇妙なまでの一致は、「舞姫」が他ならぬ彼自身の半生伝であることを示しています。

鴎外は自分の経験に基づき、家族より仕事を優先させなくてはいけない現状に疑問を投げかけたのです。



この「家族より仕事を優先させなくてはいけない現状」ないし「ワーク・ライフ・バランスの両立の困難さ」、今でも問題になってますよね?



そう、「昔」と今は異なりこそすれど、確かに繋がっているのです。


「昔」への安易な非難は、自分が生きている今、しいては自分自身の在り方をも非難することを心得なければならないのです。


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