早期療育の意義
こんにちは。あすぺるがーるです。
TLに流れてきた早期療育に関するツイートで、どこか引っかかるツイートを見つけました。
うーん、間違ってるとまでは言わなくても、何か勘違いしているような…
というわけで、今日は私の考える、早期療育の本当の意義についてお話ししようと思います。
ソーシャルスキルの学習
確かに、早期療育の意義のひとつに「社会的な一般常識(ソーシャルスキル)を早く身に着けさせる」というのはあります。
そして、早期療育の意義がこの「ソーシャルスキルの早期獲得」だけだったら、最初のツイートの主の近藤さんの主張は、全くもって正しいのです。
私の周りには、様々なバックグラウンドで生まれ育った発達障害の当事者さんがいます。
早期療育を受けてきた方は、ほぼいないに等しいです。
しかし、少なくとも私から見れば、そこまで人に重大な悪影響を与えるような言動をするような方はいません。
それは、ある程度ソーシャルスキルを身に付けているからだと思います。
ただ、ソーシャルスキルの獲得「なんか」よりはるかに重要な意義が、早期療育にはあるのです。
「傷の少ない」学習
ソーシャルスキルは、療育にいかなくても、大人になってからも学べます。
ってかぶっちゃけ、今の療育では学びきれません。
問題は「どう学ぶか」なのです。
発達障害当事者さんがソーシャルスキルを完全独学で学ぼうとすると、ボコボコに傷つきます。
いじめは、その典型例です。
運良くいじめられなかったとしても、他の人よりできないことばかりで、自尊心が大きく傷つけられるのは避けられないことでしょう。
一旦付いてしまった自尊心の傷は、そんなに簡単には消えません。
そしてその傷は、二次障害を引き起こすなど、発達障害当事者の今後の人生に大きな影を落とすことになります。
しかし、療育だったらそんなことはありません。
療育の先生は「他の人よりできないから」といっていじめてくることはありません。
(あったら大問題なので然るべきところに申告してください)
それに、グループ療育だったとしても周りの友達もみんな発達障害当事者なので「自分だけできない…」なんてこともありません。
早期療育は、発達障害当事者にとってソーシャルスキル学習の最初の一歩でしかありません。
その「最初の一歩」を、過酷な思い出で黒く塗りつぶさないために、なるべく早く療育を受けることが求められるのです。
他人を信用できるようになること
「他人を信用」の難しさと重要性
これが療育の場でないと本っっっ当に難しい。
社会的な能力に乏しい発達障害当事者さんは、非当事者に比べてイジメセクハラその他諸々の社会悪のターゲットになる可能性がものすごく高くなります。
そのため、誰とも知れぬ馬の骨のような人間に自分の身を委ねるわけにはいきません。
しかし、だからといって誰一人信用できる人がいない環境で育ってしまうと、今度は他人に助けを求めることができなくなってしまいます。
人は一人では生きていけません。
だから、他の誰かに助けを求める必要があるのです。
ましてや、他の人より欠けの多い発達障害当事者は人一倍、誰かの助けを必要としています。
そして、どれだけ仲良しの友達・先生・カウンセラー・その他のサポーターでも、最初はみんな他人なのです。
そのため「他人を信頼できない」というのは、発達障害当事者の将来にとって大きなハンデになります。
もし、他人が信頼できないと…
それらしきケースを、私にとって身近な人が体験しています。
その方は「発達障害」の診断こそなかったものの、幼少期から障害特性の強い方でした。
その方の親御さんは発達障害については知らなかったものの、障害特性をその方の個性として、最大限に受容してました。
しかし、学校ではそうはいきませんでした。
生徒はおろか、教師を巻き込んだ壮絶なイジメの嵐に遭ったのです。
「親しい人が自分を信頼してくれているか確かめるため、あえて挑発することがあった」
私の記憶が正しければ、その方はそんなようなことを言ってました。
「そんなことして、相手に嫌われたりしないんですか…?」
「意外と平気だよ」
その方はそう答えました。
そして、そう言う前だったからか後だったか忘れましたが、その方は私の共通の知り合いと、どんどん喧嘩して関係を断ち切ってきました。
それって、本当に「大丈夫」なのか…?
仮にその方が良かったとしても、私があんまり大丈夫じゃありませんでした。
もう過ぎたことだし、その方も謝ったので責めはしませんが。
その方は決して悪い方ではなく、むしろ私が今でも厚く信頼してる方なのですが、もしその方が早期療育に辿り着けてれば、もう少し楽に生きられたのではないかと思います。
少なくとも、二次障害のこじれは軽減してた。
幼少期に失った他者への信頼感を大人になってから養うのは、ソーシャルスキル獲得の困難さの比ではありません。
それはソーシャルスキルのように「学習」して、何とかそれっぽくやってたらできるようなことではないのです。
「知識」ではなく「本心」が必要だからです。
「本心」の問題は、心が歪に育ち切ってしまう前に対処する必要があるのです。
「できること」だけが大事じゃない
療育は「ソーシャルスキルを学んで『普通っぽく』なる、ただそれだけのものではありません。
本人の意志ではコントロール不可な心の奥深くの部分を、本人がなるべく傷つかないように適応的にする行為なのです。
それをやるには、脳の変化の余地が大きい幼少期から療育を始める必要があるのです。
ただ私は「早期療育を受けられなかったら諦めろ」と言いたいわけではありません。
これは本当にその通りだと思います。
大人になってから発達障害の診断を受けた当事者さんにもソーシャルスキルを学ぶ余地はありますし、むしろ大人になってからしか学べないソーシャルスキルの方が多いと思います。
大人向けのソーシャルスキル学習の場の確立も、子ども向けのそれと同じぐらい重要なことです。
ただ大人向けのソーシャルスキル学習は、子ども向けのものをちょっと変えればいい、というわけにはいきません。
同じ人間が子どもから大人になるだけでも、周囲の状況は一変します。
私もずいぶん変わりました。
そして求められるのも、学校適応のためのスキルから、職場・プライベートなど多様な場への適応スキルに変わります。
子ども向けの療育のノウハウで生かせるのは、高く見積ってもせいぜい2割程度でしょう。
そのため、子どもの療育と大人の発達障害当事者支援は、無関係でこそないものの、同列にして語られて良いものではないのです。
そして、まだまだ頼りない大人向けの発達障害当事者の支援を確立するのに必要なのは、私たち大人の発達障害当事者と、それを取り巻く社会の力なのです。
一昔前までは、身体障害者向けのバリアフリーもないに等しい状況でした。
しかし今は、多くの駅にエレベーターやスロープがあり、車いすの人は電車に乗るにあたって駅員の介助を当たり前のように受けられるようになりました。
それはひとえに、身体障害者の活動家のみなさんの尽力のおかげです。
次は、私たち発達障害当事者の番です。
そして私も、大人の一発達障害当事者として大人向けの発達障害当事者支援の確立に協力して…
いいのか!? 私、早期療育組なのですが…
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