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大切なモノ《短編小説》

彼女は俺の幼馴染み。

いつも違う男と会っては遊んでいる。俺の友達の間では「お手軽な女」と呼ばれている。

ちょっと甘い言葉を掛れば、すぐにホテルに着いてくる、と。
けど俺は、彼女の本当の姿を知っている。


いつもの様に軽く飲んでから、会ったばかりの少し年上の男が意味深な目で「これから何処か行く?」と聞いて来た。
私は少し焦らす様に頬杖をつき、自分が一番魅力的に見える角度に視線をずらした。

少しの間…私から、指を絡める。
それを合図に、男は私の腰に手を回しホテルへ向かった。

「どうしてダメなの?」男が少し不満を滲ませ、私の胸に顔を埋める。
私はそんな風に駄々をこねる男達を愛おしく、そして残酷な程に冷たい瞳で見下ろしている。

私のこんな瞳を知っているのは、幼馴染みの璃空(りく)位だろう。
私が信用し、信頼してる人間は彼だけだ。
璃空だけは、私の身に起きた事を知った後も、態度を変えずにいてくれた。
ただ私を抱きしめ、怒りに震え璃空にしては珍しく「いつか必ず…罰を下す」
そう言って、静かに涙を流してくれた。

璃空のあんな姿は、あれきり見た事がない。


男はまた欲情したのか、私の首筋に舌を這わせながら「付き合おうよ…」
そう囁いてきた。
私は男の方に顔を向け「それは無理なの」甘えた声で断った。
男はまだ物足りなさそうだったが、諦めて「分かった」と言い、少し笑って煙草に火を着けた。

私は自分が誰とでも寝る、軽い女と言われてるのを知っている。
璃空はそんな事、知りもしない顔をしているが、彼の周りもそう言っている事も私は分かっている。

ある日、大学の授業が終わって璃空と駅に向かって歩いていた時の事だ。
スッと横に車が止まった。
初めはナンパかと思い、やり過ごそうとした。
その時…
窓から男が顔を出し「久しぶり」とハンドルを握りながら、声を掛けてきた。
その声を忘れるはずがなかった。
記憶が一気に私を襲い、叫んでいた。
自分で何を言ってるのか分からない、悲鳴だったかもしれない。

隣にいたはずの璃空が、男の胸ぐらを掴み窓から引き摺り下ろした。
その後璃空は、今まで見た事ない程の残酷な光景を繰り広げた。

私が我に返り「璃空!もう止めて!」泣きながら叫んだ時、璃空は肩で息をしながら、アイツの胸ぐらをもう一度掴んで耳元で何かを囁いた。

人集りが出来、誰かが警察を呼んだらしい。
パトカーが近くに見えていた。

俺は紗夜の手を掴み、駅へと走った。

ホームで椅子に座り、紗夜はあの時と同じ様に俺の胸で泣いていた。
電車が何台も通り過ぎた。

俺は紗夜の肩を優しく、トン…トン…と叩いていた。

「璃空…私ね…あの日以来、色んな男と遊んだ。沢山の男と寝た。
それはね、穢れた身体に傷を上書きすれば、薄れて行くと信じ込ませたかったから」
璃空は黙って聞いている。
「けどね…どうしても、キスだけはさせなかった」
そう、誰と寝てもどんな紳士な男性でも、私はキスを許さなかった。

私が一番守りたかったもの。

キスは、本当に愛した人としかしないと、あの日に決めたから。


「璃空…」
璃空の瞳が優しく私を見下ろす。

私は本当に大切なモノを託せる人を、ずっと昔から知っていたんだ。

[完]




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