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誰も得しない Lose-Lose

よくWin-Winに物事を収めたとかWin-Loseを回避しようという人をみかけます。あるいはWin-Winだけでは視野が狭いから世間様も入れて「三方よし」を目指そうとか、Win-Winに成ったとしても small Win と BIG Win があるから自分の側にBigを引き寄せなければダメだとアドバイスする人もいます。

私は勝ち負けのことをよく考えたり調べたりはしても、自分はいつも Lose の側にいると感じて来ました。なぜならば、知識があっても実際に自分の人生で勝利を得られない(例えば組織の上位や高年収など)存在だったからです。

では自分が Lose の側にいるとしたら誰かが Win しているのか?といえば、無論そういうわけではありません。例えば、子供の頃は世の中はどこかでバランスが取れているはずだとか、シーソーゲームのように誰かが下がれば誰かが上がるとか、「一定の資源を奪い合ってる」から誰かがしくじれば別の誰かのもらいが多くなるとか、そういうイメージがありました。しかし現実は違います。なぜならば、天災や事故、戦争や犯罪で無為に人命や多額の固定資産が破壊されることはよくあることだからです。それを和らげるために、保険という仕組みもかろうじてありますが、破壊されたヒト・モノは二度と戻って来ません。つまり、私が何かを遠慮したり Lose したからといって誰かが Win するわけではないのです。別のイメージをあげれば、満員電車で私が席を誰かに譲るつもりで立ったとしても、席はずっと空席のまま、誰も座らずに時間が過ぎるということがあるのです。言い換えれば、「誰も得をしない」あるいは「誰もが損をする」ことは規模を問わなければよくあることなのです。

こうした「誰も得しない」「全員損」「Lose-Lose」の可能性を念頭におくと、自分が Lose なのは仕方がない・やむを得ないで諦めるとしても、その代わりに誰かが得をして、或る意味全体ではプラマイゼロ、ゼロサムになった方がまだマシなのだと感じます。これは自分が「ムダ死に」ではなかったと思いたいからなのかもしれません。特に例えば会社組織のなかで自分が負担を被ることがあっても、同じ組織内の誰かが負担を背負わずに済むと解釈できるのであれば、それなりに意義を感じて業務を続けることができます。

さて、冒頭のX投稿にあるように、業者や行政に顧客の立場から完璧なサービスを求めるという行為も、結局、顧客自身のためになっているかどうかもあやしく、サービスする担当者の負担も過剰になり、Lose-Loseになりやすい局面でしょう。最近(2023年)はカスタマーハラスメント(カスハラ)という言葉も普及してきて、そのための研修もおこなわれるようになってきました。このような状態は誰も得をしないし、可能なら回避すべきであると思います。

なぜ業者や行政のサービス、あるいは婚活の相手に完璧を求め、妥協できないのか? 完璧を求めて無理ならすぐに「損切り」してしまうのか? という問題については、イズムとしての現代に浸透した個人主義の悪い側面が出ていると思います。なぜならば、個人主義とは個人が自分らしさ(極端な場合にはアイデンティティと呼ばれるもの)を追求することを肯定し、自分らしさを追求することを諦めないようにと鼓舞するものであるからです。また、個人にとって利用可能なサービスや交流相手は事実上爆発的に増えました。というのは、実際に数が増えたのではなく、アクセス可能な範囲が爆発的に増えたからです。こうした事情も「完璧を求め、妥協せず、相手が不調なら即座に〝損切り〟して次に行く」という行動を合理的なものとし、正当化してしまうのでしょう。

ここでは「自分は損しても会社のためになる」とか「自分は損しても家族のためになる」といったローカルな観点から Lose を敢えて引き受けようという関心は出て来ません。その結果、自分自身(自分個人だけ)の観点からは Lose しないために頑張っているとしても最終的にはLose-Loseになっているとしたら、皮肉な結末だと思います。

(1,702字、2023.10.01)

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