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いいかげんさにも歴史あり。『中国抗日映画・ドラマの世界』劉文兵


中国のTVでは抗日ドラマというジャンルがあります。日本でいえば、昭和の時代劇『水戸黄門』『暴れん坊将軍』のような感じ。悪くてズルくて間抜けな悪代官のかわりが、中国では日本軍。それを、中国人民や共産党軍がやっつけて、めでたし、めでたしが定番。

そのドラマのせいで、中国では一般的に日本が悪いイメージになっているというのはよく聞く話ですが、日本のほとんどの人が『水戸黄門』の世直し旅を信じていないように、中国でも抗日ドラマを真面目に見る視聴者は多くないし、中国人からの批判もあるそうです。

そうかと思えば、あんまりひどい抗日ドラマばかりなので、かえってファンになり、とうとうガイド本まで書いてしまった日本人の方もいて、一時期話題になりました。

さて、現代ではいい加減なドラマの代名詞「抗日ドラマ」ですが、その起源は戦前の映画にあるそうです。最初は、1932年(昭和7年)の「第一次上海事変」をリアルタイムで描いた記録映画。中国軍の勇敢な闘いの記録を、実際の戦場闘いが終わったあとに俳優が再現する手法だったそうです。

ちなみにこの闘いでは、日本が上海の闘いで敵の鉄条網を破壊するために3人の日本兵が爆死をする「肉弾三勇士」の映画が何本もつくられたことでも有名です。(実際は事故死だった説もあり)

1930年代前半は、まだ日本と中国は全面的な戦争状態になっていなかったので、中国政府は停戦後、日本を刺激しないように抗日映画を厳しく検閲しました。そのため、映画の中は「日本」と名指しせず「敵」とだけ言ったり、日本をにおわせるような背の低いズルい悪人を登場させたり、恋愛映画だけど、ラストシーンで主人公カップルが闘いに向かって終わるとか工夫してごまかしたたそうです。

1937年7月、盧溝橋事件を発端に日本との全面的な戦争が始まると、中国政府も映画界を後押しして、『故郷を守ろう』とか『守れ、我らの土地を』といった国防映画が作られるようになりました。実際、戦争中なので、プロパガンダをかなり意識した内容で、中には欧米人が参加する反日映画や、日本人捕虜が撮影に強力する映画もあったとか。

1945年に戦争が終わり、その後の中国では内戦の結果、社会主義の中華人民共和国が成立します。すると、それまで都市の民間会社を中心に作られていた映画が全て国営化され、モダンな内容の映画は不可になり、代わりに農民や工場労働者、兵士が主人公の映画をつくらなければならなくなりました。

戦後の中国でもいろんな映画が作られましたが、戦争ものの場合、中国共産党の武勇伝や、普通の労働者が革命家に成長していくものが推奨されました。冷戦時代の中国の映画人は現役軍人が兼ねていたそうで、軍隊に宣伝部門や慰安部門があったからのようです。そして、軍人出身の映画監督も少なくなかったとか。毛沢東は抗日ゲリラものが好きで、共産党の指導で人民が立ち上がり、日本に勝利する物語を喜んだそうです。

中国では、中国共産党がOKする以外の映画をつくることは難しく、昔はとくに厳しかったようです。映画に出てくる日本人は、必ずチビで腹黒くて間抜けにしないといけない。そんな我慢は、1972年の日中国交樹立まで続きました。

ただし、一般には公開されませんでしたが、政治家や映画人のための資料として、海外で評価の高い日本映画がこっそり中国で、ものすごく限られた人たちだけのために試写されていたのだそうです。

だから、中国の政治家や映画人たちは、政治のタテマエとは無関係に日本の有名な映画監督や俳優を知っていたし、尊敬している人もしていたとのこと。このあたりは、同じの著者のインタビュー『証言 日中映画人交流』にもあるとおりです。


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