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選挙で落選すると議員はどうなってしまうのか

平成28(2016)年の参議院選挙落選以来、私はどの政党の役職にもつかず活動しています。「選挙に落選されてからずいぶん立ちますがどのようにあと始末をされましたか。」との尋ねがありましたので、直接のお答えになるか分かりませんが、落選直後に書いた文章をアップします。文中に「6年後の参議院選挙まで浪人してチャンスを待つことは時間が掛かりすぎます
」と書きましたが、結局、機会を見ながらそれ以上の時が経ってしまいました。
なお、この文章は「デフレ脱却戦記:消費増税をとめろ編」(桜町書院)に収録されているものに目次の追加や年号など最小限の訂正を加えたもので基本的に2016年当時の記述そのままです。

参議院選挙、三期目の挑戦は敗北

平成28(2016)年7月10日投票、「ふつうの人から豊かになろう!」をスローガンに戦った参議院議員選挙で落選しました。私の座右の銘は『自灯明』なのですが、これはお釈迦様の言葉で、「自らを灯明として、頼りとして生きていきなさい」という意味です。いかに壁が厚かろうと、わが国の将来のために、自らの組織のためのことしか考えない官僚制度などとの戦いをやめるわけにはいきません。戦前の軍部、戦後の財務省・旧日銀体制による官僚の暴走がどれほどわが国に害毒を及ぼしたことでしょうか。幸い、応援してくださる皆さんも「これからも応援するから、がんばれ!」と言ってくださる。本当にありがたいことです。

とはいえ、よく「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙で落ちればただの人だ」といわれます。今回の私のように議員が選挙で落選して、議席を再び得ることができないとどうなってしまうのか、ご存じない方が多いかもしれません。

なかには党が手厚く処遇をしてくれるのではないかと漠然と思っておられる皆さんもおいでかもしれませんが、私の選挙は2勝3敗、今回で3度目の落選ですが、少なくとも私が過去に所属していた政党についてはそのようなことはまったくありませんでした。そこで皆さんに昨年(2016年)夏の参議院選挙後の私の近況についてご報告したいと思います。

任期切れのあと始末

選挙後、残っていた任期は昨年(2016年)7月25日に切れました。選挙の後始末もそこそこに議員会館の事務所を引き上げる作業をしなければなりませんでした。苦楽をともにしてきた大勢の事務所の仲間たちとも別れを告げなくてはなりませんでした。なかなかそれぞれの希望に沿うような再就職先というものは見つけられるものではありません。今思い起こしても無念です。私にもう少し力があればと大変情けなく、自らを省みる気持ちでいっぱいでした。

この時点で参議院議員としての身分は終わり、「前議員」という扱いになりました。この肩書きで得られるのは国会に手続きなしに出入りすることができる「前議員バッジ」ひとつだけです。

議員年金があるのではないかとお考えの方もいるかもしれませんが、もちろん受給年齢には到底達していません。また、かつて議員年金が存在したときには議員在職10年で受給資格を得ることができましたが、2006年に新規の支給が廃止されたので、いずれにしてもわれわれには関係ないのです。私に残ったものは零細企業の社長さんや個人事業主と同じ、国民年金だけなのです。

退職金も知事や市町村長には数千万円単位で出ますが、われわれ議員にはありません。ほぼ一年間にわたる選挙前の政治活動、本番の選挙運動で、これまで爪に火をともすようにして蓄えた政治資金も使い切っていますから、一気に金銭面では厳しくなります。

ここまでは所属政党に関係なく同じです。ここから先は実は私は他の候補者について判りませんし、党との関係については他党とは違うのでしょう。手厚い処遇をしてくれる政党もあると聞きますし、組織・団体出身者は親元に戻ることができます。しかし、2003年に内閣府の官房総務課総括課長補佐を最後に役所を辞めて、裸一貫で選挙に出た私には、まったく何の組織も地盤もありません。生活を丸ごと面倒見てくれるような後ろ盾はありません。

現在の私は落選と同時に党の一切の役職を失いました。神奈川県連という全国の党員の約5人に1人が所属している大所帯でしたが、その代表をずっと勤めたとはいってもそれは、要するにただの世話役にすぎません。党の役職自体はさほど大きなことではありません。最大の問題は、果たしてもう一度今の党から立候補するチャンスがあるのかどうかということです。政治活動は続けたい気持ちがあっても、さすがに6年後の参議院選挙まで浪人してチャンスを待つことは時間が掛かりすぎます。また3年後の参議院選挙には仲間が現職で立候補予定です。

共倒れをおこしてはならない

それでも2019年に神奈川県選挙区で野党2人目の候補者として立候補してはどうかとおっしゃる方も大勢いらっしゃいます。私のことを心配してくださる、大変ありがたいアドバイスです。しかし、冷静にならなければなりません。今の党勢で2人候補者を立てるのは愚の骨頂です。そのことは今回の神奈川での参議院選挙の結果をみる前に、誰もが予想していたことです。それとも二年後にそんなに党勢が回復しているのでしょうか。最近の世論調査でも、内閣支持率が低迷する中でも一向に野党の支持率は上がりません。大きな疑問符がつくとお考えの方が多いと思います。二人当選の筋道が立たないのにただ勢いだけで二人立候補させること、ましてや自分が立候補することは共倒れを招き、理性的な人間の取るべき道ではありません。

また、衆議院議員への鞍替えも多くの皆さんが勧めてくださいます。しかし現在、神奈川県内でも私に地縁のある小選挙区はすべて埋まっています。このようなことで、現時点では私は参議院、衆議院いずれでも次回の選挙の公認候補予定者(総支部長)にはなれません。

そして大きな問題は、公認候補予定者(総支部長)になれないと一銭も党本部から活動費が出ないことです。総支部長には党本部から政治活動のための費用がこれまで月50万円出ていました。月50万円あれば、事務所を借りて、スタッフを一人雇い、日ごろの政治活動をなんとか賄うことができます。次の選挙で確実に公認候補者となれるのであれば応援してくださる皆さまから浄財をいただくことも不可能ではありません。もちろん、自分や家族の生活費はそれ以外で稼がなければなりませんが、地元の選挙区の代表者としてなんとかファイティングポーズをとれます。が、それも立候補する選挙区がなければそうはいきません。

「メガホン片手の朝の駅頭活動だけもやればいいではないか」というのは小さな選挙しかみない、少し非現実的な考えです。そもそも選挙区が決まっていませんし、国政選挙でそれだけで当選できるのは党勢が上り調子のときだけです。今の風向きでは、事務所もない、ポスターも貼れない、十分な政治資金もないとなると国政選挙ではまったく勝負になりません。

立候補すべき選挙区がなく党資金も入ってこない、将来は不透明。そこで、熟慮の結果、事務所を閉めることにしました。

もうひとつの問題は、同時にどうやって家族の生活費を稼いでいくのかという大きな問題です。当然収入を得るためには働かなければなりませんが、果たして国会議員経験者という面倒そうな経歴の人間である私に職場が運よく見つけられるかどうかという大きな問題がありました。こちらについては本当にありがたいことに、さまざまな方々からのお力添えをいただき、ご縁があって無事にフルタイムでサラリーマンとして働かせていただいています。お名前をここで挙げるわけにもいきませんが、心から感謝しています。

どん底からはいあがるために

さあ、なんとか敗戦から軟着陸に成功しました。今がどん底、これ以上悪くはなりません。志は捨てません。私の目標は、日本経済を再生することです。最近の国会での経済論議をみていても、やはり、その海図と羅針盤を持っているのは私だと自信を持っています。古臭い表現で、パソコンでは、かな漢字変換もできない表現ですが、「乃公出でずんば」の心意気です。

それに落選も、ものは考えようです。落選したからといって死んでしまったわけではありません。権力闘争に敗れれば、すなわちそれが死を意味する国は世界中にまだまだたくさんあります。与野党を問わず、国会に私がいないことを惜しんでくださる方々が大勢いらっしゃいます。なんとありがたいことでしょうか。

逆に、政党活動に時間を割く必要がなくなったのですから、自分の潜在的な能力を高めるためにこれまで忙しくてとてもできなかったことができると考えればいいのです。後で振り返って、「あの浪人の時期にこれを勉強できたからよかったな」、「現職でいたのではできなかったことを経験できたな」と言えるように、これまでとは違う新たな分野で経験を積みたいと思います。艦船や飛行機に定期的なメンテナンスやソフトウエアのバージョンアップが必要なように、今は、私に対して天が「充電の時期だ」と言っているのだろうと前向きに考えていこうと思います。幸い、理解のある方々のお力添えをいただいて生まれてはじめて民間企業で働かせていただいています。これまでと違った分野、ITの世界や民間企業の現場を経験し、数年後には大改装を終えパワーアップした「金子洋一改」をお見せできると信じています。

考え方、ものの見方を変えれば世の中でできないことはないと思っています。少なくともうろたえ、惑うことはなくなります。これから、わが国に必要な経済政策の実現に向けて夢を捨てずがんばっていきます。皆様の引き続きのご支援をよろしくお願いします。
(2016年11月15日脱稿、2022年12月9日修正)


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