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自撮りと承認欲求

 ボクは一時期、女装をして写真を撮り、それをTwitterにツイートしていた。

 それと同じように、自分で自分を撮った写真、いわゆる自撮りをTwitterにツイートする人がいたりする。あくまで個人的にだが、自撮りをツイートするのは女性に多いように感じる。

 自撮り画像はありのまま上げている場合もあれば、口元や鼻など、一部を隠していたり、アプリで肌のシワやシミを飛ばしたり目を大きくしたりする場合もある。もはや詐欺ではなかろうか……と思う程加工されている自撮りもあったりする。

 大抵の自撮り画像には、多くのリプライが付く。

「パッチリ二重で可愛い」
「いつ見ても美人」
「やっぱり○○君はカッコいいね」

 主に相手をほめるリプライだ。そりゃそうだろう、なかなか面と向かって相手をけなす人はいない。なので、(失礼だが)正直あまり可愛いとは思えない自撮りでも、称賛のリプライがついたりする。
 誰かが自撮りを上げると、我も我もと自撮りがわらわらとツイートされることもある。みんなほめて欲しいのだ。

 多くの場合、自撮りをツイートする心理的背景には、承認欲求があるだろう。精神を病んでいると、とにかく自己評価が下がり、それに応じて承認欲求が高まる。ボクも例外ではない。だから、誰かに認められたいという気持ちは非常にわかる。

 承認欲求を埋めるには色々な方法がある。親から無償の愛をもらったり、友人に誕生日を祝ってもらったり、恋人に好きと言ってもらったり、頑張って描いた絵をTwitterにツイートして高評価をもらったりする等があるだろう。
 でも、そんなことを言ってくれる家族や友人、恋人がいなかったり、絵なんて描けなかったりするわけで、案外難易度が高かったりする。そんなときの自撮りだ。
 自撮りは、自分を撮ればいいだけなので、誰でも手軽にできる。もちろん顔や身体を出すことのリスクはある。しかし、高まった承認欲求は歯止めが効かず、リスク感覚は遠のいてしまう。

 他者への承認欲求に振りまわされず、あるがままの自分自身を受け入れよう、という言葉は聞こえがいいが、そんな簡単にはいかないものだ。下がった自己評価を自力で上げるのが難しい人はたくさんいる。そんな人は、とりあえず他者に頼って承認欲求を満たし、自己評価を上げるしかない。

 承認欲求を満たすために、インターネットに自撮りを上げるなんてふざけている、危険だ、と思う人もいるだろう。そのことに間違いはないという認識はボクも持っている。
 しかし、そうでもしないと承認欲求が満たせず、低くなった自己評価に殺されかねない人がいるのも事実である。きれいごとを抜きにすると、現実問題、どちらが正しいとか間違っているとか、一概にはいえないのではなかろうか。

 精神を病んでいると、自己評価が下がり承認欲求が高まるだけでなく、肉体的にも精神的にもできないことが増える。現実で誰かと繋がって交流したり、外で活発に動き回ったり、仕事をバリバリこなしたりすることが難しくなる。結果として、精神を病んだことで下がった自己評価により承認欲求が膨らむにもかかわらず、それを満たす手段が減るのだ。
 そのため、肉体的・精神的疲労が少なく、すぐに欲求を満たせる方法を求めることとなり、結果的に自撮りにいきつく場合もあったりする。もちろん、みんながみんな、自撮りをするわけではないが。

 ボク自身自撮りをしていたのもあり、自撮りを全面的に否定はしない。ただ、自己評価の低下が招いた承認欲求は底なし沼であって、ついつい飲みこまれてしまうことは忘れてはならない。自撮りしてTwitterに流した写真の枚数が多ければ多いほど、インターネット上に自分の情報がそれだけ広がることになり、過激なものになれば、恥ずかしい思いをする可能性もある。

 承認欲求にむやみに飲みこまれず、ちょうどいい距離感で付き合っていくことはもちろん大切で、病んだ精神の持ち主にとって理想である。しかし、言うは易し行うは難し。現実には、承認欲求と上手に付き合うことはとても大変なことだ。いきなり距離を測れとは言わないけれど、承認欲求を満たす手段は慎重になった方がいい、としか言えない。

 自撮りも程々に、ね。

ブログとはまた違ったテイストです。