見出し画像

地底人【ショートショート・超短編小説】

 洞窟にヒトのような生き物が住んでいるとは思ってもみなかった。洞窟人、いや洞窟は奥に進むにつれ地下へと下っていくので、さしずめ地底人といったところか。
 私は洞窟奥深くに広がった、おおよそテニスコート一面分の空間で地底人と遭遇した。地上の人間に比べて細長く伸びた手足、長く尖った耳、赤く小さく光る眼をもつ地底人の第一印象は最悪だった。見る姿はお世辞にも可愛いとは言えないし、とても友好的には感じられない。私は仲間の制止を振り切り、洞窟探索を進めたことを激しく後悔した。「殺される」と直感が告げた。
 地底人が腕を動かした。私は悲鳴を上げながら身構える。ああ、これで私の人生もおしまいか。友達と遊んだ公園のブランコ、誕生日の特別なケーキの味、初めての恋人との甘いひととき、准教授への昇進の喜び、そして地上にいる家族の温かい笑顔。走馬灯がよぎり、身体全体で死を悟った。
 地底人は胸辺りに手を前に出す。それは地上の人間でいう握手とよく似たポーズであった。
「これは握手、ってことか? 」
 伝わりもしない言葉で、つい尋ねてしまった。
 しかし、不思議なことに地底人は、コクリ、と頷いた。言葉が伝わったわけではなさそうだが、なんとなく理解してもらえたようだ。
 私は地底人と握手を交わした。地上の人間と地底人の交流の始まりだ。その手は冷たく骨ばっていた。

◇◇◇

 地底に暮らし始めて一か月になるだろうか。地底での生活もそう悪くない。地底人は友好的で、私たちはすぐに打ち解けた。理解できなかった言葉もいつの間にか習得してしまったのだから驚いたものだ。今では地底人語ネイティブである。ミミズや地中に眠る幼虫を食べる食生活には最初抵抗があったが、今ではすっかり慣れた、いや、美味しく感じるほどだ。食事量が少ないからか、どうも手足は細くなったのは困ったものだが。
 地底人は明るいランタンが苦手なようで、私は暗闇での生活を余儀なくされた。なかなか前が見えず、地底人にぶつかったり、物を倒してしまったりする日が続いたが、今では細長く変形した耳を使ってなんでもわかる。もはや眼は飾り物でしかなく、どうやら小さくもなっているようだ。
 地上での生活はもう考えられない。家族のことを考えると心が苦しくなることもあるが、地底での生活は何のしがらみもなく、気楽で気持ちの良いものだ。それに、来週には隣町の女性と結婚する予定だ。申し訳ないが新しい家族と仲睦まじく暮らしていこう。まあ、いざというときはすぐに地上に戻れるだろうし。
 入り口付近から何か物音がした。強い光に一瞬怯む。これはおそらく地上人だろう。よし、新人の私が挨拶しにいこうか。
 かつて私がそうされたように、地上人に対して手を差し出す。何故か悲鳴を上げられたが気にしない。相手は何も知らないのだから。

ブログとはまた違ったテイストです。