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励まし合い

 双極性障害を患っていると、躁やうつに振り回されて、生活に支障が出る。躁によって、妙に活動的になったり、散財したりと、周囲を振り回してしまうこともあれば、うつによって、布団から動けなくなったり、学校や会社に行けてもボーっとしたりして、何にも集中できなくなることもある。
 下手すると、毎日躁やうつが続き、苦しい思いをする。そんなときは、誰かに励ましてもらいたいものだ。
 Twitterでは、誰かに励ましてもらえることがある。顔を合わせたこともないのに、優しい言葉をかけてくれるんだから不思議なものだ。
 励ましの言葉は、理不尽な暴力を振るってくる双極性障害に対抗する一手段になり得る。ボク達の生活を蝕んでくる憎らしい奴から身を守る上で、非常に有効なのだ。
 ボクもTwitter上で度々励まされた経験がある。とくに、うつのときに声をかけられることが多く、精神的に支えられた。うつがやってきて、精神的にボロボロだけど、研究室や会社に行かなければならないとき、誰かに優しい声をかけてもらった。
 もちろん、励ましだけでは立ち向かえなかったり、どうしても何ともならなかったりすることもある。だけれど、励ましてもらえると元気が出てきて、どうにか困難を乗り越えることができることがボクには多かった。
 逆に、ボクが誰かを励ましたこともあった。
 例えば、夜になると明日の学校や会社がつらい人たちが、わらわらとTwitterに現れてくる。そんな人たちに対して、無理しなくていい、大丈夫、といった声をかけるのだ。
 頭の中で今抱えているつらさをとりあえず解消することは、精神疾患を抱える人が生存するに当たって大切なことだ。特に双極性障害の当事者の場合、躁とうつのアップダウンが激しいので、場当たり的な対処も必要となる。
 このような励まし合いを、傷の舐め合いだと感じ、不快に思う人もいることだろう。
 実際その通りかもしれない。励ましてばかりだと甘えになるかもしれないし、そもそも励ましだけでは何も解決にはならず、現実を逃避になるだけかもしれない。
 しかし、例え傷の舐め合いに見えたとしても、それでいいのではないだろうか。何故なら、双極性障害を始めとした精神疾患の当事者にとって最も大事なのは、今を生き延びることだからだ
 社会との接点が少なくなりがちなため、双極性障害の当事者同士は繋がりを持てる場や機会をそれほど多く得られるわけではない。そのため、当事者同士で励まし合える機会も必然的に少なくなる。そんな中、Twitterは貴重な場や機会であり、当事者の生命線の一つにもなり得る。
 傷の舐め合いでもいい。とりあえず今を生き延びようじゃないか。

ブログとはまた違ったテイストです。