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人恋しい深夜

 読者の中にも、深夜に人恋しくなる人がいるだろう。孤独に強くて、一人が好きなボクでも、深夜に人恋しくなることがある。何でも飲みこんでしまいそうな闇で世界が深まっている様相や、昼間の雑踏が嘘のようなしんとした空気がそうさせるのだろう。散歩すると尚だが、部屋の中に籠っていてもそのような感覚が伝わってくる。

 人恋しいといっても、現実にはすぐにそれを満たせるわけではない。恋人や家族と暮らしていても相手は寝ていることが多いわけだし、一人暮らしならそもそも人がいない。人に会えるといえばコンビニが真っ先に出てくるが、到底交流とは言えないものだ。こんなときに、仲良しの常連や店員さんのいる行きつけの飲み屋でもあるといいのだが、そんな人は少ないだろう。そんなわけで、電子の世界で色々な人が存在するTwitterが頼りになったりする。

 双極性障害を始めとした精神疾患の当事者や、病院にかかってはいないがメンタルの不調を抱えている人には睡眠障害を患っている人が少なくない。夜なかなか寝付けずにつらい思いをしていたり、朝を待たずに深夜で目が冴えてしまったり、人によって症状は様々だ。そんな人たちは深夜のさみしさに飲み込まれがちである。

 日中に活動できないというのも、人恋しさに拍車をかける。精神やメンタルに不調を抱えていると、日中まともに活動できないというのは珍しくない。例えばうつ病や双極性障害には日内変動という症状がある。これは、昼間は病気の症状が酷く、夜になるにつれて良くなる、といったものだ(もちろん逆もある)。このような病的なものでなくても、多くの人が活動する時間には動きたくない、動けないというのもあり、どうしても深夜に活動的にならざるを得ない人も存在する。日中動けないという負い目も、人恋しさに拍車をかける要因だ。

 訳あって日中引きこもっている、引きこもらざるを得ないと社会との交流機会はぐんと減る。社会との接点が減ることは、すなわち孤独を呼ぶことに繋がり、さみしさが心の中に溜まっていく。そのさみしさがあふれてきて、頼もしい、人によっては唯一といってもいい、社会との接点となるツールであるTwitterは深夜にちょっとした賑わいをみせる。その様相はまるで電灯の明かりに集まる夜光虫さながらである。

 深夜にみせるTwitterのタイムラインの様子は昼間とは質が異なる。眠れない不安や深夜に起きてしまった絶望感、言葉にするのが難しい感覚を言葉にしたいもどかしさ、素直であり素直でない心情、心の奥底で感じていることの吐露。繊細で敏感、冷たさ、熱さを感じるタイムラインが形成されているのだ。
 また、深夜という特殊な環境では、活発な熱量を抑え、静かな熱量を持って相手を労わったツイートや、深夜浮上仲間との一体感を持った優しげなツイートが見られることもしばしばある。私はそれに助けられた人間の一人で、日中にツイートできない繊細な部分を支えてもらった。

 何だかんだいって、人間は社会の中で生きる生き物だ。人との繋がりをついつい求めてしまう。そんな気持ちが深夜のTwitterに集まり、ひっそりと輝いている。

ブログとはまた違ったテイストです。