始めたきっかけは修士論文
多くの場合、大学院の修士課程では修士論文、いわゆる修論を執筆しなければならない。短い学生生活ながらも、修論は修士課程の集大成であり、拙い論文だったが、思い入れのあるものだ。
集大成なだけあって、なかなか苦労するもので、ボクも修論には非常に苦しめられた。
12月に入ると修論も大詰めとなる。終わりの見えない作業に絶望し、先生からのダメ出しにコテンパンにやられる。作業量の多さから生活リズムは乱れ、肉体的にも精神的にもストレスが溜まりにたまってくる。
当然ながら過度なストレスは病気に悪影響を及ぼし、ボクは日に日に病んでいった。
「もうだめだ……。耐え切れない」
「終わらない、終わらない、終わらない」
そんなことを一人ぶつぶつつぶやく毎日。とうとう修論のストレスに耐え切れず、手を出したのがTwitterだ。
最終的なきっかけはボクの被害妄想だった。起こったことは単純で、先生がボクのメールに返信してくれなかっただけのことだ。
そんなことか、と思われるだろうが、当時のボクの精神は限界。メール一つで、「先生に嫌われた、もうダメだ」と被害妄想に迷い込むには十分な状態だった。
何故先生に嫌われたらまずいのかというと、卒業に必須な修論の審査の通過には、担当教員次第なところがあるだからだ。なので、担当教員との仲は重要である(もちろん、担当教員も大人なので、感情に左右されるわけはない。だが、ボクの認知の歪みが発動したとでもいうのだろうか。当時はついつい悲観的になってしまった)。
手軽に、現実の知り合いには内緒で、いつでもたくさんの人に吐き出せる場所が欲しかった。そんなボクにうってつけのツールが、Twitterであったのだ。
「はけ口が欲しい。悩みを共有したい」
そんな思いでボクは、みんなに内緒でアカウントを作り、世界に向かって、ちっぽけなつぶやきを開始した。
まず、とにかくボクは多くの人たちと繋がることを試みた。悩みを聞いてくれる人は多い方がいいし、いろんな人の悩みを聞いて共感し合いたかった。Twitterでの繋がりの増やし方はインターネットにたくさん転がっていて、割と簡単に100人程度と繋がることができた。
悩みや愚痴、つらさというものは不思議なもので、同質同量のつらさでなくても、理解できるところがあるつらさでなくても、共感し合えるところがある。
例えば、ボクの場合、とにかく修論のストレスからくるつらさを吐き出したかった。
「先生の圧力やばすぎて、限界だ」
だが、Twitterにいる人のほとんどは修論を書いていない。つぶやきも修論とは関係ないものだ。
逆に、ボクにはない様々な悩みも散らばっている。
「学校に行っても私の味方はいない」
「今日もパワハラされて、今日もリストカットしちゃった」
これら全てに共感する・共感されるということは流石に難しい。しかし、つらさを抱えているという事実で繋がりを持てた。
質や量は異なるが、誰しもがつらさを抱えている。それこそが人の絆の本質で、大事なことなのかもしれない。
次第に、Twitterに吐き出す内容は修論のことだけではなくなり、日常で不便なことや症状、治療のことにまで広がっていった。
「うつが酷くて今日も布団から出られなかったよ」
「今日、新しい薬を処方されたんだ。もう嫌になるよ」
ボクが心の中に抱えているものが、修論の悩みや苦しみだけではないことに気付いたのだ。
かくして、ボクのTwitterライフは始まったのだった。
ブログとはまた違ったテイストです。