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経験知と啓発ツイート

 ボクは双極性障害という診断が下ってから、本やインターネットで双極性障害について勉強した。多分、多くの双極性障害の当事者がそうした経験があると思う。
 情報収集には様々な手段がある。Twitterもその候補の一つだろう。Twitterをしていると、双極性障害に関する色々な情報が流れてくる。

 Twitterはいろんな人であふれている。双極性障害に関してだけでも、医師や薬剤師、精神保健福祉士などの専門家もいれば、ちょっとだけ精神疾患に詳しい当事者から普通にTwitterを楽しんでいる当事者まで立場は様々だ。飛び交う情報の幅も広く、内容も玉石混合でもある。

 特に、精神疾患の当事者ならではの有益な経験知の共有や啓発的なツイートがファストフードのようにバンバン消耗されていくのはTwitterならではじゃなかろうか。それはそれで有益だし、現象としても面白い。

 そのなかには、(どの立場からいっているのかわからないのだが)経験知や啓発的なツイートばかりする人もおり、嫌気が差すこともある。もちろん、有意義なことをツイートしてくれるのでハッとさせられたり、心強くなったりすることもあるのだが。ちなみにそういう人はフォロワーが多いことが多く、影響力があったりする。

 例えば、次のような経験知を見かけるとしよう。
「毎日の散歩が調子を整えるのに効果的」
 このようなことを言われても、それができるほど体調が優れなかったり、散歩を効果的に感じられなかったりときもある。つらさや悲しさ、ときには憤りさえ感じるだろう。涙をにじませながら「そんなことできないから苦しいんだ」と叫びたくなる日もある。

 啓発的なツイートも目障りなことがある。
「頑張りすぎるからうつになる。だから無理しないでね」
 やかましいわ!と思う方もいることだろう。お前に言われなくてもわかっている、とはらわたが煮えくり返るほどいらだちを感じることもあるはずだ。ボク自身、情緒不安定なときは心の奥底に殺意が芽生える。

 もちろん悪意がないことはわかっている。善意である(と信じたい)。書き手の思いと受け手の認識に齟齬が生まれるのは避けられず、難しいものだ。もしかしたら140字の限界なのかもしれない。

 さて、昔はどんなつぶやきに対してもボクは敏感で、自分はそんなこともできないのかと悲しくなったり、それだけ気力のある人はいいよな、と拗ねたりしており、完全にTwitterというツールに振り回されていた。
 しかし、そんなことを考えるのは虚しい。自分の感覚に合わないつぶやきはスルーするのが一番だな、と悟って、無視することにした。このような情報の取捨選択を行なった結果、Twitterがより有意義なものとなり、ボクの闘病生活の味方となったのだ。今では怖いもの見たさで啓発系ツイートを覗いている。

 情報を得ることは大事である。しかし、それと同じくらいスルーしたりすることも、Twitterというツールを使う上で必要なことだ。
 生存戦略としてTwitterを活用するためにも、自分に合わない経験知も、つらくなる啓発ツイートも、知らんぷりを決め込もう。

ブログとはまた違ったテイストです。