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親指だけは動く

 誰でも体調不良で寝込んだ経験はあるだろう。例えば、重い風邪のときは、布団に出ることさえもつらくて、何をするのもとてつもなく重労働となってしまう。トイレすら一苦労だ。そんな最中では、とても何かをする気は起きない。身体が言うことを聞かない。

 双極性障害も例外ではなくて、うつがやってきてしまって、布団から起き上がることができないということが往々にしてある。双極性障害の当事者ならば、そのような経験を一度はしたことだろう。
 ボクもこれまで何度も全く動けず寝込んでしまうことがあった。体が重たくて何もできない、する気も起きない。反動が必ず来るが無理すれば動けはする、というケースも含めればしょっちゅう経験している。

 しかし、重い風邪と異なり、そんなときでもできる唯一の気晴らしがある。スマホをいじることだ。
 不安感や罪悪感、うっとうしさ、希死念慮から逃れるために、親指でポチポチいじりながらスマホの画面を眺めるのだ。
 特に、うつのときのラクな気晴らしはスマホであり、Twitterだった。

 Twitterのラクなところは、最低限のモラルさえ守れば気ままにつぶやけるところと、あまり考えなくても誰かのつぶやきを眺めて楽しめるという点だ。肩肘を張る必要がないのはありがたい。そんなわけで、親指の動く日は、無理のない範囲でTwitterに熱中していた。

 つらくて動けないとき、Twitterでは色々なことをつぶやいた。
「しんどい」
「死にそう」
「みんな頑張っているのに」
「早く修論を進めねば」
 他にも、ただ単純に、うつの症状や罪悪感、焦りをつぶやくこともあった。

 また、できたことメモも兼ねて、自分の行動を実況中継していたこともあった。
「今からご飯を食べる」
「こんな時間になってしまった。寝なければ」

 うつのときは長い文章をつぶやく元気もなかったので、短文が多かったように思う。短文でも、長文でも、受け入れてくれるのがTwitterだ。ときどき返信をもらえることがあって、それが非常にうれしかった。

 また、ボクと同じようにつらい思いをしている人がいると、なんだか安心感を得られた。症状のつらさのつぶやきもあれば、学校や会社を休んでしまっている罪悪感や焦燥感のつぶやきもあり、勝手に仲間意識を持っていた。

 このように、唯一動く親指を駆使し、Twitterをすることで、ボクの気持ちは少しラクになることが多かった。

 Twitterを始めていなかった時期の、布団の中での療養はとてもしんどかったことを覚えている(Twitterができてもしんどいが)。特に、発症したての一番のうつの急性期のときは、なかなか気軽に気晴らしができず地獄だった。
 この時期にTwitterをやっていたらもっとラクになれただろうと、ときどき思うことがある。あくまで思うだけだけど。

 つらいときでも、何とか気晴らしができれば、多少はラクになれる。Twitterのような気晴らしのツールが一つでもあると、とても助かるのではないだろうか。

ブログとはまた違ったテイストです。