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アホな理由の寄付金

先日母校から時報の冊子が届き、毎回の例に漏れず寄付金のお願いが入っていました。

我が母校は寄付金の集まり具合が他校に比べてぶっちぎりで悪いらしく、それを受けてかは知りませんが今回は募金額に応じて特典が付くようになっていました。

私は寄付というものを投資だと考えています。資本を投下することにより、組織に貢献したという満足度というのもそうですが、例えば学校ならば母校の発展や若者の成長というリターンを、研究への寄付ならばその成果というリターンを求めて行うものだと考えています。自分にとって何かしら嬉しいと思える将来のリターンを求めて投資しているのです。そのため特典目当てで寄付をするというのは第一印象として「この学校もなりふり構わないな」と冷ややかな目で見ていました。

しかし中身を見てからちょっと考えが変わり、寄付を行うことにしたのです。その額、10万円。個人で出すにはちょっと多い金額、特に私にとっては躊躇する金額です。

それだけの金額を出してまで何を得ようとしたのか。その特典は、新しくできる大学キャンパス内に設置される銘板への名前の刻銘です。

正直今までの私ならば、「なんだそんなもの、自分の名前なんてひけらかしてどうしようってんだ」「自己顕示欲が強いようでみっともない」と思っていました。しかしその考えが、今置かれている環境のこともあってちょっと変わったのです。


私は現在鬱病を患っています。3年くらい前にパニック障害と共に発症し、ずっと病院に通っています。

9か月近い休職も経験しました。休職が終わってからそろそろ2年、働きながら通院しての治療が続いています。そして最近はだいぶ良くなって、今年中には治るだろうなと希望を持っていました。

しかし最近になって、今年になって変わった上長と同僚からのパワハラとも取れるような行動によって、一時期状態は休職していた頃と同じくらいまで悪化しました。今でも会社に行くのが怖くて、会社に行けずに休みを使うことが多くなっています。

幸い人事の方が相談に乗ってくれたこと、社内に味方が多くいたこともあって部署異動が決まり、心機一転して働くことができるようになりました。

しかしそれが決まるまでは自然退職の可能性が常につきまとい、これからどう生きていこうかということまで考えるようになっていました。当時は部署異動という選択肢を考えることができず、働けずに退職というシナリオしか見えていませんでした。今でも一時期ほどではありませんが、次の部署で上手くいかなかったらという不安があります。

今の会社は実は2社目です。1社目は4年半ほど勤めましたが、社風が合わなかったことや職種のこともあって転職したのです。そして1社目では2つの部署を経験しましたが、いずれも上司からのパワハラがひどかったことを覚えています。まあ2つ目の部署の上司については私の性格もあって、相手のことをこちらも見限っていたので大した被害はありませんでしたが…。

今の会社を辞めることになったらどうしようか。まずは鬱病が治るまでは療養するとして、そこから転職活動。でも今の会社以上のところが見つかるだろうか。もし上手くいかなかったらどうしようか。もうどうにもならなくなったら〇ぬのだろうか。

今は心機一転を待っている状態なので、そのようなことを考えることはありませんが、本当にそこまで考えたのです。海外では無職が普通、転職が普通のようですが、日本ではそうはいきません。鬱病で後ろ向きな思考も相まって、これからの生き死にについて考えたのです。


そして今回の寄付の話。はじめは寄付の特典なんて意に介していませんでしたが、自分の生きた証が10万円で残ると考えたら安く感じたのです。で、やっちゃいました。寄付しちゃいました。高い衝動買いです。

中島みゆきの「永久欠番」という曲の歌詞に「生きていたことが帳消しになるかと思えば寂しい」というものがありますが、もしかしたらそういう気持ちがあったのかもしれません。よく分かりません。色々書いたものの、なにせ実態は刻銘サービスの衝動買いなのですもの!まあ取って付けたようですが、母校の発展に少しでも寄与できればいいんじゃないですか(適当)。

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