教師なき世界

朝ドラ、スカーレット、終わってしまいました。

自分にとって、とっても大事な朝ドラだっただけに、出来るだけ、スカーレットについてもこれからも書きます。

ちょっと朝ドラ、エールについて書かせてください。

学校に馴染めないタイプの主人公の男の子、裕一くん(石田星空くん)、

もうすでに本をたくさん読んで、いろいろ知っていそうな(佐藤) 久志くん(山口太幹くん)。

本当は、古今和歌集等、和歌等、勉強したそうなのに家の事情で学校に行けなくなりそうな番長(村野鉄男くん(込江大牙くん))。

もちろん学校で、個々人に合わせて教育出来ればいいですが、画一的教育一では、このようなここ個別の状況になかなか対応しきれません。(特に当時の大正時代なりは、恐らく制度が不十分で個々の教員の判断が個別に対応していたんだと想像します。)

あと「男は強くあれ。」、「こういうものはこうだ。」という(教育の)やり方は、主人公のひとり、裕一くんにとって、合わないんだと思います。私は、現代文の読み取り問題がどちらかというと苦手でした。文学や詩等、作者の創作意図と違う読解問題さえ、存在します。

私は、そういうこれが正解と決めるやり方が少し合わなかったんだと思います。逆に文章や芸術等、「いかようにに捉えてもいい、個々の本人にゆだねられている。」という考え方があります。もちろん、これをそのまま受け取ると学校教育が成り立ちません。これだと(絶対の)、(皆に共通の)正解が全くないということになります。

これだと教育が成り立たないので、そこまでの極論は、教育には、適用しないのだと思います。ただ、これが正解という正解を、教科書や教師の言い分を、答案用紙に移し(写し)とるという教育の継続がいいものなのか、それが問われているように思います。もっと教育が本人の感覚、センスが大事にされるものになればいいなと思います。

日本で導入するには、いままでの教育のいろいろが変更を求められて、「具体的に授業どうやるの?、児童、生徒さんの成績どう付けるの?」等なかなか難しい問題もあるんだと思いますが、個々の児童、生徒さんの感覚、センスが生かされて、皆が、多少なりとも生きやすくなるかなと思ったりします。












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