無題0

アリストテレスが用意したベース枠組みに世界が引きずられてる弊害の解消について(前回書いた文章の注釈的内容)

2019-7-008

形而上学や論理学のベース枠組みをアリストテレスが用意してると考えれば、
アリストテレスのどこを引き継いでどこを修正してるか、という肯定否定の形で、
立ち位置を説明する事が可能と思われます。

例えば、科学や数学を重視する立場は、
実験や数学的演繹の重視によってアリストテレス的演繹を乗り越えるガリレオパッケージの、
系譜と見なす事も可能なはずです。
また、数学者であったり数学的スタイルを採用したりと、数学の持つ確実さが前提のデカルトやスピノザは、
神(全能、無限)や自由意志(主観)の位置付けを問う点で理系とは別系統とはいえ、
そのパッケージとの近さ(同時代性含む)を疑えるのに対し、
カントは、デカルトの文脈(主観)を採用しつつ、アリストテレスを肯定的に引き継ぎいだ結果、
プラトンの近代的再生を可能にした、
そうした近代(現代のベース)についてのおおまかな像を想像します。

いずれにせよ、アリストテレスはプラトンの乗り越え方の例示と言えるわけですから、
アリストテレスとは別のプラトンの乗り越え方の提示は、
アリストテレスが用意したベース枠組みの根本修正をも意味するはずです。
そして、その提示として、プラトンやカントの示した構造(理想と現実の分離)の解決は、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究によって為されるべきだったと主張します。
また、その主張による、論理への理解の再構成として、前回書いた文章の内容を主張します。

さらに言うと、自由観に代表される、内と外に上下を見るパラダイムや、
同種の他との差異要素の捨象と共通要素の捨象の内、前者捨象に特化した知性枠組みを、
基底に持つ欧米枠組みがある限り、
プラトンに対するその乗り越え方は、欧米には期待できないと思います。
内在の性質と外在の性質が合わさって現象となる(内外価値対等)、
両性質が代替不可能なものである時、現象は最も確からしい、この二つから成る現象観や、
それと同等である、
場の本質にしか応じさせない処理(先の最大限追究も、局面と着目無視の合致配慮も内包)に、
欧米主導の世界(現行世界)が持つ限界を打破する希望を見ましょう。

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