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20.10.09【週末の立ち読み #1】己の正しさを全うするために 〜プラトン『国家』(岩波文庫)より〜

 皆さんは、エルの物語を知っているだろうか?

 残念ながら、「えるしってるか?」のほうではない。テーマは似てるかもしれないが、今回語るのはプラトンの『国家』(岩波文庫)の最後で扱われる死後の世界の神話について、取り扱ってみようと思う。

 今回の投稿は「週末の読書」をコンセプトに、ふだんと文体を変えてお届けしている。2,000〜4,000字程度で、主観的で断片的な読書体験──いわば、〈立ち読み〉を提供するのが目的だ。
 だから、この本を全て語ろうとは思わない。説明のために簡単な背景を語りはするが、抜け漏れもあるし、厳密ではないかもしれない。
 そのため、この断片から興味を持ったのであれば、本書を手に取り、自分で確かめて欲しい。なによりも自分の目で見て知ることこそが、読書体験の醍醐味だと思うからだ。

 さて、前置きはここまで。

 「エルの物語」について語る前に、プラトンの『国家』という壮大な対話編が一体何なのかを語らなければならない。
 プラトンとは、古代ギリシアの哲学者である。詳しくはWikipediaで検索すれば大体のことがわかると思う。ただ、ここではあまり書かない。字数が惜しいからだ。

 その哲学者が、『国家』という書物で描くのは、正義の根本的な問題に関する議論だ。しかも特徴的なのは、論文のような堅苦しい言葉ではなく、複数の登場人物の会話からだんだんと掘り下げていく形式で書かれていることだろう。
 この複数の登場人物の会話で進む形式を、〈対話編〉という。今で言えば「マンガでわかる!」シリーズと考え方は似ているかもしれない。

 この対話編で「正義」の問題を語るということの、最大級に面白い点は、「なんでいきなり登場人物が〈正義〉について語り出したのか?」という一点に尽きる。
 つまり、書き出しだ。

 この対話編はソクラテスというプラトンの師匠に当たる登場人物を起点にして描かれている。そのソクラテスが、友人と一緒にあるお祭りに行ったところ、ポレマルコスという名望家に呼び止められるシーンで始まる。
 色々あってポレマルコスの家に行ったソクラテスは、そこで名望家の父であるケパロスに会う。フカフカの椅子に座って安らいでいるケパロスは、すでにかなりの老年だった。彼は来客を喜んで、雑談を交わし始める。

 しかし、ケパロスはいきなり正義の話を持ち込んだのではない。もっと身近な話から始めている。
 要約すると、「最近歳を取ってから、若いときのことばかり思い出したり、介護で虐待があったりして辛いということばかり、友達と話している。しかし歳を取ることが不幸なことであるように思われる一方で、実際はそうじゃないのではないか?」と、そういうことを話し出すのだ。
 ケパロスの出した結論はこうだ。「歳を取ることではなく、その人の性格こそが、人の幸福に直結するのではないだろうか?」と。

 ソクラテスの知的好奇心が、ここで掻き立てられる。彼はケパロスに対して、「性格よりもお金が、幸福を決定しませんか?」とわざと反論する。
 しかしケパロスは、あれこれ議論した上で、だいたい次のようにいう。「財産や何やらを持っていたとしても、ほんとうに死ぬことを目前にすると、自分が過去に不正を犯したことのほうが不安になるんだ。嘘を吐いたり、借金をしたまま死ぬのではなく、正直であり、真面目に蓄財したことそれ自体のほうが、自分にとっては大切なんだ」と。

 ここでようやく、正直であること──すなわち己にとって、誰かにとって、公共の利益にとっての正しさ=〈正義〉とは何なのか、という議論が開始する。
 議論はケパロスの息子ポレマルコスに引き継がれ、岩波文庫で上下巻に渡る壮大な議論が始まるのだ。

 そこでは、法律の正しさ、学問の正しさ、正しさと幸福、理想国家、詩や小説などのフィクションの意義の話題が展開する。詳しくは手に取って読んで欲しい。
 その議論が極みに極まった最後の部分で語られるのが、死後の世界の神話:エルの物語──本投稿の本題なのだ。

 これは一見すると奇妙なことのように思われるかもしれない。
 正義の問題を語るために、死後の世界の神話を語ることは、こじつけのように見える。しかし、先ほどの冒頭からの地続きであることを考えると、実はかなり深いつながりがあるのではないだろうか。

 思うに、プラトンがほんとうに興味があったのは、「その時代において正しかったことが、後世で否定されるように、現世において間違いとされることが来世で肯定されるとするなら、一体永遠に続く〈正しさ〉とは何なのか?」ということのような気がする。

 エルというのは、人名だ。彼は戦場で戦う兵士でもある。
 つまりエルの物語とは、戦場で死に瀕した彼が見た〈死後の世界〉の見聞録──いわば臨死体験のことを指している。

 古代ギリシアの〈死後の世界〉は、前世──死ぬ前に何をしていたかをじっくり検分し、悪しき魂には罰を、善き魂には天国で過ごす時間を与える。地獄の閻魔さまに通じる内容だ。
 しかしどちらも永遠ではない。賞罰の時間にも期限があり、これが過ぎると転生先を決める儀式があるのだという。輪廻転生──死んだ後に別の生命として魂を引き継ぐという古代の信仰。まるで、スマホの機体を乗り換えるSIMカードのように、魂は生涯を乗り換える。

 しかも、転生先を決める順番はくじ引きだというのだから、面白い。
 くじ引きで受かった順番から、ありとあらゆる人生の選択肢を与えられる。大富豪に生まれる道、英雄になる人生、美男美女、庶民、貧民、あるいは、人間だけではなく、白鳥、犬、蛙などのさまざまな生涯のカタログが、選択肢となるのだ。

 ここで、それぞれの人物が選んだ選択も、また面白い。
 一番最初に受かった人間は、独裁者の人生を選んだ。彼はしかし、そのあとで猛烈に後悔した。何でもかんでも思い通りになる人生を選んだつもりが、よくよく調べると不幸な人生であるように思われたからだった。
 その一方で、悪人やギリシア神話に名を連ねる英雄たちは、自身の非業の死を憂いて、人間ではなく動物の生涯を選択する。白鳥、ナイチンゲール、ライオンなどなど。
 最後の最後、賢者と言われたオデュッセウスは、よくよく選択肢を吟味した上で、厄介ごとのないごくごく普通の人生を選んだという。彼は、『オデュッセイア』という文学にも記されているように、波乱万丈すぎる人生を送り、骨身に苦労が染みていたのだ。

 ここで、プラトンは一見すると「なんでもないごくごく普通の、バランスの良い人生こそが人の幸福なのだ」と主張しているように思われるかもしれない。たぶんそれは間違っていない。そういうことを主張するソクラテスのセリフは、確かに存在するからだ。
 しかし、僕にはもうひとつ、致命的な指摘があると思っている。それは「正しいシステム(国家・法律・制度)があっても、それは魂を救わない」ということだ。

 先ほど書いた最初の選択者は、実は天国からやってきた人間なのだ。
 彼は良い制度を持った良い国に生まれ、なんとなく善良に生きただけで、罪を犯さなかっただけの人間だった。それは自分の力ではない、と(文中の)ソクラテスは指摘している。あくまで習慣の力であり、真の知を追求しなかったのである、と。
 代わりに、地獄から来たもののほうが、おのれの苦悩と経験に深く学んだがゆえに、賢明な選択をしたともされている。ここで人生の逆転が発生するのだ。

 エルの口を借りて、あの世の神官はこう語っている。

「最後に選びにやって来る者でも、よく心して選ぶならば、彼が真剣に努力して生きるかぎり、満足のできる、けっして悪くない生涯が残されている。
 最初に選ぶ者も、おろそかに選んではならぬ。最後に選ぶ者も、気を落としてはならぬ」
──『国家(下)』(岩波文庫)p412

 だとすれば、僕らはどう生きなければならないのか。

 さらにもうひとつ、強烈な教訓となるシーンが残されている。
 おのおのの──人間だけではなく、動物たちも含めた全ての魂が、次の生涯を選択したのち、最後に連れて行かれる場所がある。

 その名は〈忘却の野〉。レーテとも呼ばれる、炎熱の荒野だ。
 この荒野を進んだ先に、〈放念の河〉がある。アメレースと言うらしい。その河の水は不思議な水で、飲むと過去を忘れるようになるのだ。
(※この二者を合わせて〈忘却の河〉レーテとも呼ぶ。ややこしい)

 転生を迎える全ての魂は、最後にこの河の水を適量飲まなければならない。
 しかし思慮によって自制することのできない者たちは、決められた量よりもたくさん飲んだという。そして、飲んだ途端に一切のことを忘れ、次の生涯を歩んだのだった。

 なぜ魂たちが〈忘却の河〉の水を飲み過ぎてしまうのか。理由は本書では書かれない。
 事前の選択の後悔が、あまりに苦くて辛く虚しいがゆえに、早く忘れたかったのか。
 河の手前の荒野があまりに広大すぎて、のどの渇きが癒しがたいものだったのか。
 それとも、〈忘却の河〉の水が、非常に甘くて美味しいからだったのか。

 エルは水を飲んでいない。だからその答えは永遠に謎のままだ。
 しかし、〈忘却の河〉の水を飲み過ぎて、前世の苦悩を失ったまま転生した先が現代の僕たちだとしたら、どうだろう。そのとき前世の魂は何を思慮し、現世に進む直前に何を失くしてしまったのだろうか。

 マテーシス(物を学ぶこと)は、アナムネーシス(思い出すこと)だ、とプラトンは言っている。だとすれば、僕たちがまず思い出すべきことは、あのとき飲んだ〈忘却の河〉の水の味に、他ならないのではないか。
 そして、この生涯を選択したとき、何を心したのかを、じっくり考えてみることなのでは、ないだろうか。

 エルはまだ死ぬことができない。エルは書物のかたちを取って、いまもなお、死後の世界の神話を語りつづけるのだ。






▼以下書誌情報▼

■今週の一冊 プラトン『国家』(岩波文庫)
・読みやすさ:高い(専門用語が基本的にない→ただし古代ギリシャの話はよく出るので、人物名はほどほどに)
・面白さ:深い話が多い
・入手しやすさ:高い(古典なので大型書店などで基本的に品切れなことは無さそう)

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