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お父さんに夢で会いたい。

私は父っ子でした。父が大好きでした。父の傍にいるのが幸せだったのです。
小学校の教員をしていた父は子どもたちにとても慕われていました。
教え子たちとの時間を大切にしていました。
夏休みには子どもたちと旅行に行ったり、キャンプに出かけたり、娘といる時間よりも教え子たちといる時間が長かったように思います。

父の葬儀には成人した教え子たちが何人もお別れに来てくれました。人として優しい父は私の自慢でした。

私は高校生になっても、親離れせず178センチと高身長で、スーツが良く似合う父と腕を組んで歩くのが大好きでした。父はとてもハンサムで、素敵な人でした。

教え子たちに接するように、娘たちにも接していました。とにかく人の考えを尊重してくれたのです。私たち姉妹が人生の選択で悩むことがあっても、進むべき道は自分たちに委ねられていました

私は進路に関して、父からダメだと言われたことがありません。妹が国際結婚をすることになっても、父は家族の誰より先に妹の意志に賛成していました

半面、昔人のところがあり、私が遅く帰る事を嫌い、大学の部活動を制限されたり、運転免許を取りたいと言った時には「女性に免許はいらん」と突っぱねられたこともありましたが、きっと娘のことが心配だったのでしょう。


私は今、人生の選択で悩むことがあると仏壇の前に座って父に訊ねます
「私はこうしたいんだけど、どうかな・・・」そう聞くと父は「お前の人生じゃ、お前の好きなようにやったらええ」いつも必ずそう答えてくれます。それは生前と変わりません。


父が亡くなって17年、もうそんなに時間が経ったのかと思います
娘として残念な事は亡くなってから父が一度も私の夢に出てくれないことです。間違いなく私たち家族を見守ってくれているのは分かっているけれど、一度でいいから夢に出てきて欲しいのです。

思いっきり濃くて太い眉毛で、にっこり笑って「ゆっこ、久振りじゃな―」と言って大きな体で抱きしめて欲しいのです

「お父さん私、今年70歳になるんよ」と伝えたら父は何と言うだろう。
きっと「これからもお前の人生を精一杯生きたらええわい」と言ってくれそうな気がします

どうして今日父の事を書いたかと言うと、今日は父の命日だからです

亡くなった日に見たあの大きな大きな夕日を忘れることはありません。



最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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また明日お会いしましょう。💗

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