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旅日記

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世界各地の旅先で感じたことを徒然なるまま、書きました。
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30年ぶりのルート66、風景は昔のまま保存されていた

30年ぶりのルート66、風景は昔のまま保存されていた

If you ever plan to motor west, Travel my way, take the highway that's best.Get your kick son Route sixty-six.
訳:西へ旅するなら、ハイウエイを楽しもう。そう、ルート66で出発だ
(ルート66の歌詞の冒頭より)

もう30年近くも前のこと、アメリカに住んでいた私は、ある雑誌の企画でアメリカ

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自分の意思を明快に伝えられない日本人の苦しみとは!?

自分の意思を明快に伝えられない日本人の苦しみとは!?

I can’t help you!

この一言が、今でも私の心に響いています。

といっても、これはちょっと恥ずかしいようなユーモラスな、同時に深刻な話です。

インドのムンバイでのことです。

その日、前日食べたものが悪かったのか、朝になって食あたりの症状に悩まされたのです。

しかもその日は休日でもあり、アメリカから来た仕事仲間で友人の夫婦とムンバイの街を観光する予定でした。

彼らとは朝9時

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博多とオースティン

博多とオースティン

博多は私にとっては学生時代の思い出の詰まる街である。

就職して後、アメリカに住み、そこで自立し16年間を向こうで過ごした。

もうアメリカから帰国して13年になる。

しかし、それでも意識は中途半端。

今夜博多に出張し、学生の頃は静かな砂浜であったシーホークスタジアムの横のホテルに泊まる。

数年前、久しぶりにここに来たときは、正に浦島太郎だった。

夜時間があったので、福岡市の西の繁華街、西

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パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

エルサレムはイスラム教、キリスト教各派、ユダヤ教が混在する古都。高台から遠くをみると、新造の万里の長城かと思えるユダヤ系とパレスチナ系の人々を分断する「壁」が見渡せます。

そんな旧市街にあるダマスカスゲートという城門に、パレスチナ人のタクシーの運転手が集まる一角があります。そこで、アラブ系の運転手を捕まえ、ガザと共にパレスチナ人の自治が許されたヨルダン川西岸West Bank、ジェリコ Jeri

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パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

ヘブロンの中心にある古く大きな建物は、半分がユダヤ教徒、残りがイスラム教徒の祈りの場。中にも壁があるのです。コーランを読む声が拡声器から流れるなか、前の広場は重装備のイスラエル軍兵士が四六時中警備に当たっています。パレスチナ人居住区は、そんな広場の脇の陰惨な二重の鉄のゲートを潜った中の薄暗い路地に沿って広がっていました。

パレスチナ人の運転手と共にしか入れない地区。その薄暗い路地の頭上には黒いネ

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パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

出入りは自由にできず、人々は食料を調達し、仕事するために国境を越えなければなりません。それが厳しく制限されると、地下トンネルを掘って密入国です。イスラエル側はそこからハマスなどの兵士が自爆テロとして潜入すると非難します。

それは一部事実でしょう。追い詰められた人々が過激になり、イスラエルに向けて攻撃をします。そのトンネルの入り口が一般市民の住むところにあり、武器を学校や市場に隠しているため、イス

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パレスチナ自治区ヘブロン(4/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(4/4)

パレスチナの人々はよく話し、人懐っこい。彼らは外国人の訪問者となるとお茶でも飲んでゆけと笑顔で誘います。その笑顔が心に残ります。

パレスチナ問題は、テロ対策、石油の利権とも絡み、中東各地の政治問題の原点です。とはいえ、人と人とが対立するために、そこに壁を造り、人を追い込み閉鎖することは愚かなことです。

万里の長城などにはじまり、近年ではナチスドイツがユダヤ人を閉じ込めたゲットーの壁、その後東西

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(1/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(1/4)

3月も終わりというのに、シカゴは氷点下。風の強い街で知られているだけに、寒さはひとしおでした。仕事が終わり、ふと久しぶりにミシガン湖沿いをドライブしてみようと思い立ち、高層ビル街を北へと抜けます。やがて、右手に風に煽られて慌ただしく波立つ湖畔が広がります。湖といっても、五大湖の一つ。大きくて向こう岸は見えません。陽は少しずつ傾き、家路に急ぐ車も増え始めていました。

しばらく走ると、Belmont

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(2/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(2/4)

2006年9月26日、一人の女性が90歳で息を引き取りました。

彼女の名前は Iva Ikuko Toguri。

Toguri Merchandise を経営していた Fred Toguri の妹です。

Iva は、太平洋戦争中、アメリカ軍兵士から Tokyo Rose というニックネームで呼ばれていました。戦前、Toguri 一家はロサンゼルスで雑貨店を営んでいました。Iva Ikuko

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戦後がまた一つ、シカゴの Belmont Avenue の思い出 (3/4)

戦後がまた一つ、シカゴの Belmont Avenue の思い出 (3/4)

1945年に戦争が終わると、Iva はなんとかしてアメリカに帰国しようと考えます。ところが、その資金を得るために受けたインタビューでの証言が元で、Iva は日本でアメリカ側に拘束されてしまったのです。1948年、アメリカに送還された Iva を待っていたのは、国家反逆罪という重い罪での裁判でした。
裁判で、アメリカ軍は様々な証人をたてて、Iva を裁こうとします。結果は禁固10年、市民権剥奪という

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(4/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(4/4)

そんな Tokyo Rose のストーリーをそっと抱く Toguri Merchandise。

Belmont Avenue を、速度を落として運転しながら、昔の記憶をたどって探しましたが、店は見つかりませんでした。ホテルに戻り、ネットで調べると、去年閉店したということです。街の雰囲気は、以前とさほど変わっていません。その中で、ぽっかりと穴があいたように、Toguri Merchandise は

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都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(1/4)

都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(1/4)

ガスペ Gaspeという町があります。

そこは、カナダ東部の古都ケベックから車で8時間東に走った半島の突端、大西洋に突き出した最果ての町です。

ガスペは、昔からフランスの影響を濃く受けたケベック州の中でも最も東にある町です。

カナダの大河セントローレンス川 Saint Lawrence River。河口は湾となって大西洋に向けて大きく開けます。昔はヨーローパから渡ってきた帆船のアメリカ大陸へ

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都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(2/4)

都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(2/4)

10月の末、夜遅くこの町にやってきました。

途中、晩秋の冷たい風雨にさらされて波立つ岸壁に沿って何時間も車で走りました。やがて深い森の中にはいり、そこをぬけ出ると、入江に橋がかかっていました。そこを渡るとガスペの市街地へといざなわれます。

ケベックを昼前に出発したものの、早い日没のために、町はすでに深い闇の中に眠っていました。

翌日のことです。町の中心にある大きな駐車場にたくさんの車が集まっ

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都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(3/4)

都会と田舎、カナダの最果て、ガスペの「ムースまつり」(3/4)

そんな音楽にひかれるように駐車場に行ってみて、びっくり。

集まる車のボンネットや天井に、ムースmooseの頭がかざられているのです。

ムースはトナカイに似た大きなツノをもつ野生の鹿です。地元の人々が猟をして、その獲物の大きさを競い合うために、そこに集まっていたのです。

森の主とも言える巨大なムースが、首を切られて車の上に乗せられています。男だけではなく、家族ぐるみで集まって、その大きさを競い

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