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セピア色の思い出 リアル 山瑠璃草

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遠い遠い昔、幼いころの話。微かな記憶だけのセピア色の思い出。ただぼんやりと綴る。 そこは港の近くの東峰寮という名の家族寮。その2階の一角の部屋に家族4人で住んで居た。
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セピア色の思い出 1

セピア色の思い出 1

「セピア色の思い出」

遠い遠い昔、幼いころの話。
微かな記憶だけのセピア色の思い出。
ただぼんやりと綴る。

そこは港の近くの東峰寮という名の家族寮。
その2階の一角の部屋に家族4人で住んで居た。

「窓下の路地」
昭和39年 日曜の朝。
小学生の私は 2階の窓から外をぼんやりと眺めていた。窓下の路地には居酒屋が並ぶ。昨夜の喧騒から、今朝は蝉の声に変わっている。スタンド京子という店の2階の窓、ス

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セピア色の思い出 4

セピア色の思い出 4

詩「危ない遊び」

幼い頃

立入禁止の防波堤
こっそり入って
雑魚釣り

埠頭に来る外国船
身振り手振りで
入れてもらった船は
北朝鮮の船

今思えば危なっかしい

そんな港も
面影はない
オリオン座の三つ星 輝く
幼い頃のその港

懐かしくて
会いたくて

「危ない遊び」

小学校4〜5年生 昭和38年頃の「港」で遊んだ思い出が心に残ります。

信濃川の河口にある港町が私の故郷。港町といっても

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セピア色の思い出 3

セピア色の思い出 3

「亡き母は看護婦」

母の白い腕の中
注射をされる
母の白い看護着
その胸の中で泣きじゃくる
幼い頃の私の姿

亡き母は看護婦
微かな思い出が
セピア色の夢となり
私に逢いに来ます

夢喰いよ
どうかこの夢だけは
喰わないで欲しい

今は亡き母の思い出の写真は、私を抱いて撮ったこの一枚だけ。セピア色の思い出写真です。母の実家の家の前で撮ったのでしょう。私の大切な一枚です。

母は戦時中から日本赤十

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セピア色の思い出 2

セピア色の思い出 2

「父の蝶ネクタイ」

寡黙な父は胸に蝶ネクタイの形をしたケロイド痕がありました。戦争で弾が胸をかすった跡だとか。
また潜水艦乗りだった父は、酔うと「メーンターン…」と意味不明な事を言ったりして、幼い私の耳にいつまでも残ったのです。それが後に、潜水浮上を制御するメインタンク(メーンターン)に海水を入れたり抜いたり、潜航したり浮上したりする合図の掛け声だと知りました。

父は原爆が投下された後の広島に

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