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山瑠璃草
2022年2月24日 14:37
「セピア色の思い出」遠い遠い昔、幼いころの話。微かな記憶だけのセピア色の思い出。ただぼんやりと綴る。そこは港の近くの東峰寮という名の家族寮。その2階の一角の部屋に家族4人で住んで居た。「窓下の路地」昭和39年 日曜の朝。小学生の私は 2階の窓から外をぼんやりと眺めていた。窓下の路地には居酒屋が並ぶ。昨夜の喧騒から、今朝は蝉の声に変わっている。スタンド京子という店の2階の窓、ス
2022年3月7日 13:39
詩「危ない遊び」幼い頃立入禁止の防波堤こっそり入って雑魚釣り埠頭に来る外国船身振り手振りで入れてもらった船は北朝鮮の船今思えば危なっかしいそんな港も面影はないオリオン座の三つ星 輝く幼い頃のその港懐かしくて会いたくて「危ない遊び」小学校4〜5年生 昭和38年頃の「港」で遊んだ思い出が心に残ります。信濃川の河口にある港町が私の故郷。港町といっても
2022年2月27日 19:03
「亡き母は看護婦」母の白い腕の中注射をされる母の白い看護着その胸の中で泣きじゃくる幼い頃の私の姿亡き母は看護婦微かな思い出がセピア色の夢となり私に逢いに来ます夢喰いよどうかこの夢だけは喰わないで欲しい今は亡き母の思い出の写真は、私を抱いて撮ったこの一枚だけ。セピア色の思い出写真です。母の実家の家の前で撮ったのでしょう。私の大切な一枚です。母は戦時中から日本赤十
2022年2月25日 21:44
「父の蝶ネクタイ」寡黙な父は胸に蝶ネクタイの形をしたケロイド痕がありました。戦争で弾が胸をかすった跡だとか。また潜水艦乗りだった父は、酔うと「メーンターン…」と意味不明な事を言ったりして、幼い私の耳にいつまでも残ったのです。それが後に、潜水浮上を制御するメインタンク(メーンターン)に海水を入れたり抜いたり、潜航したり浮上したりする合図の掛け声だと知りました。父は原爆が投下された後の広島に