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田坂広志『なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか 新版』PHP新書

2007年に出版された単行本を加筆・修正し、出版した新版である。この書名に惹かれて、以前、手に取ったことを忘れて購入した。

マネージャーとは、「部下や社員の人生」という「重荷」を背負う仕事であると感じたという。「部下や社員の人生を預かる」立場であるという。

「部下や社員の人生を預かる」とは、部下や社員の「生活」に責任を持つという意味。もう一つの深い意味は、部下や社員の「成長」に責任を持つ。

なぜ、部下や社員の「成長」を支えることが難しいのかは、誰もが納得する正しい答えが無いからだ。

部下が失敗したとき、敢えて「厳しい言葉」を投げかけるか、「優しい言葉」で、慰めるか一般的な「正解」など無い。

経営者やマネージャーだけが得られる、大きな「喜び」というものがあるという。素晴らしいマネージャーの「後姿」から学んだ。

優れたマネージャーの方々が共通に持っていたものは、部下を、一人の人間として遇する「心の姿勢」である。

一人の人間としての成長の可能性を認め、その成長を支える。まず、無条件に、そのことを信じる。

「人間としての成長」とは、「心の世界」が見えるようになることが、著者にとっての定義である。

「心の世界」が見えるとは、「人の心が分かる」力量であるという。「相手の気持ちが分かる」「場の空気が読める」「自分が見えている」

それは、「三つの心」が見えるようになるという意味であるという。「相手の心」「集団の心」「心の世界」

最も難しい「心の世界」は、「自分の心」で、最も見えていないという。「すべてのことに、心をこめる」修行を、毎日、続ければよい。

「人間学」は、自身の「体験」からしか学べないという。人間の心と「正対」することである。

部下の話を、「聞き届け」るためには、大変な「心のエネルギー」と、大きな「心の器」が求められる。

人間の心に正対し、格闘することで、深い「人間学」の学びの機会、深い「人間観」を身につける機会が与えられる。

若き日に「人間観」を身につけるときに、しっかりと、心に刻んでおくべきことは、決して「人間観」を崩さないことだ。

本当の「強さ」を身につけるには、人間というものの可能性を信じる「豊かな人間観」、何によっても揺らぐことのない「深い人間観」を身につける。

人と人との「出会い」は、単なる偶然に見えて、深い意味がある。「相性の悪い人」との出会いでも、心の摩擦や葛藤を通じて成長できた。

人と人との「出会い」には深い意味があるが、仕事において直面する「苦労」や「困難」にも、深い意味がある。

苦労や困難があるからこそ、成長する。苦労や困難があるからこそ、喜びがある。苦労や困難があるからこそ、結びつける。

経営者やマネージャーの「究極の楽天性」とは、様々な苦労や困難があっても、決して命が取られるわけではないと、動じない「覚悟」である。

「究極の楽天性」を身につけるために「死生観」が問われる。誰もが、「必死」の人生を生きている。日常にこそが、すでに「生死の体験」がある。

経営者やマネージャーは、深い「人間観」、「邂逅」の思想、「逆境観」、深い「死生観」を持たなければならない。

その上で、決して忘れてはならないことは、自分が「成長」することである。そのことを抜きにして、部下や社員の成長を支えることはできない。

リーダーは「組織を率いる人間」ではない。「人間成長という山の頂に向かって登り続ける人間」のことだ。

経営とは「命懸け」のものである。「部下の命が懸かっている」という意味だけでなく、「自分の命を懸けている」という意味である。

自分は、この人生を賭して何をあかしたいのか。社会通念としての価値に流されずに、自分自身が信じる価値のために生きる。

マネジメントの道を歩むもう一つの答えは、人間との「邂逅」である。部下との間との「奇跡の一瞬」を「最高の一瞬」すると思い定める。

人間が出会い、巡り会い、互いの一瞬の生を精一杯生きようと歩む。一瞬の生と一瞬の生との深い交わりの中で、互いに成長しようと支え合う。

それは、いかなる仕事、いかなる事業よりも素晴らしい「最高の作品」なのだ。

著者の体験から導かれた哲学的マネジメント論を触れることにより、その深い思想に感銘した。

本書は、「すべての文章を1行に収める」という、独特の語りスタイルであるので、これにあやかり、すべて2行で書いた。







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