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完全制覇「北野天満宮」梅/紅葉/パワースイーツ「東向観音寺」

「天神さん」こと菅原道真を祀る「天満宮」が全国津々浦々にあるが、ここが本宮である。

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 妬みで藤原氏などから「天皇の座を狙っている」というようなことを流布され、太宰府天満宮あたりに左遷させられ没する。
 それと同時に京都では、疫病・飢饉が発生し、藤原氏、公家が亡くなり、後醍醐天皇も崩御する。これは道真の祟りと鎮守社として祀られることになる。
 ということで、神様は怖い存在でありこれを荒魂とし、人々は丁重に祀ることで和魂になると信じた。和魂は幸魂と奇魂に分かれるのだが、この神社はそれぞれの魂を祀る御社がある神社でもある。

変更履歴

  • 2023/04/02 再参拝したので写真増量

  • 2022/12/25 2022/11/25発見された昔の社殿位置を追記(「2022/12/25」でページ内検索)

  • 2021/09/05 写真追加

▼HP

▽北野天満宮

▽東向観音寺

▼セットで行くところ

平野神社、大報恩寺(千本釈迦堂)、引接寺(千本閻魔堂)、大将軍八神社、石像寺あたり。

▼祭神

菅原道真

▼見どころ

 ちょっと長いので、公式HPの境内案内図を見ながらが良いかな・・。

2022年11月27日 新発見!! ※2022/12/25
 銅版(縦42・5センチ、横72・5センチ)と印刷画は9月、社務所の屋根裏を調査したところ発見された。銅版には、東京浅草の出版社「精行社」が制作したことに加え、「明治28年(1895年)3月」の年月、彫り師や画工らの名前もあった。銅版は板に挟んで保管されており、板には同年10月に奉納されたと墨書されていた。
 印刷画では、現在とは位置が違う社殿があるという。現在は、三光門前の参道に並ぶ四つの摂末社が、当時は本殿前の中庭にあったことや、絵馬所も現在地より北の紅梅殿付近にあった。境内に馬が走る馬場、人力車や米俵を運ぶ牛車、 天秤てんびん を肩に担ぐ人などが描かれ、当時の風俗もうかがえる。
 東川楠彦 禰宜ねぎ は「非常に精巧、正確に明治期の境内が記録されている。銅版印刷の原版自体も希少価値が高い」と話している。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/20221223-OYT1T50505/
2023/04/02 再参拝したので写真増量

 上七軒や大報恩寺から来ると東側の紋ですね。

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 表の鳥居に戻りましょう。

▽一の鳥居から楼門

 一の鳥居に飾られている額は「閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)」の筆で、鳥居を抜けると立派な楼門がある。楼門には、「文道大祖 風月本主」と記されている。平安時代の学者・慶滋保胤(よししげ の やすたね)と大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉が刻まれている。

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↑白大夫社

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↑福部社

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↑老松社(表参道と本殿裏)

 菅原道真の教育担当だったとされる「島田忠臣(しまだのただおみ)」を祀っている。忠臣は道真が配流先の福岡・大宰府で、自らの無実を天の神々に訴えるため天拝山(てんぱいさん)に登られたときに、お供をした人物。  後に道真は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託した。道真の魂を降臨させるために松の木を植樹した人物と言われ、林業の神様として崇められている。

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↕さて老松社は参道と本殿裏と本殿左の3か所にあります。どっちがどっちかは各自で調べてください!?

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↑火之御子社

 雷は田んぼの稲に穂をつけると信じられ、時には火を起こしたりする自然の畏敬の念を持つものだった。最近では、雷除けに霊験あらたかとして、ゴルファーや釣り人の信仰を集めるようになったとか。。。って、落雷しないでということか。。

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▽楼門@重文から本殿@国宝

正しくは「三光門」のようですね・・。

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 菅原道真公が生まれた時、亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから、境内のあちこちに牛が奉納されている。受験生はこの牛の頭をなでるのが恒例ですね。頭が良くなるらしい。

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▽本殿@国宝

 ご祭神「菅原道真」を祀る本殿と拝殿は石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)で、国宝になっている。2019年に行ったときは楼門内はすべて御白石が敷かれていた。

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2021年


 ちなみに、本殿の前にあるご神木が「紅和魂梅(べにわこんばい)」で、菅原道真を慕って京都から九州にまで飛んで行った「飛梅伝説の梅」と同じ種として伝えられている。

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 本殿の右側に行けば社務所でご朱印がいただける。そこから本殿をぐるっと回るのがお勧めです。

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2021年少し人が増えてきていた

 注目は「一之保神社」と「奇御魂神社」で、道真の”奇魂”を祀る。個人的には受験生が来るべきところはここかと思っている(なぜかは後述)。摂社・末社を巡るのも忘れずに。

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 また、横や後ろから見た本殿の姿が素晴らしい。伊勢神宮の内宮・外宮の所謂、神明造とは違い建物に立派さがある。

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 出雲大社、下鴨神社など古社に必ずある本殿裏の祈る場所。ここには菅原氏の遠祖「天穂日命(アメノホヒ)」を祀っている。菅原氏自体の祖は相撲の神様「野見宿禰」。アメノホヒはアマテラスとスサノオの誓約で生まれた神様なので、ここは天系であることを言いたいのかな~。

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本殿・本殿裏の祭神などは大宰府天満宮と同じですね。

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御土居からの写真

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▽本殿右・背後

↑竈社

 東の門から入るとすぐですね。

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祭神は「庭津彦神」と「庭津姫神」と「火産霊神」となっている。庭津彦・庭津姫神の「庭」は家庭の意味で、この2神は家庭の守護神である。また火産霊神は、火をつかさどる神である。古来この三柱の神は、かまど・台所の守り神として私たちの日常生活と密接に結びつき、各家庭で大切に守られて来た台所の神様。

↑文子天満宮

 多治比文子が菅原道真を最初にお祀りした社。かつては西ノ京に鎮座していたが、明治時代にこの地に遷宮された。ちなみに今でも、京都駅から北へ徒歩10分の所に「文子(あやこ)天満宮」が存在している。

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2023/04/02 再参拝したので写真増量
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 この神社を北に向かい境内を出て左に向くと平野神社。

↑地主神社

 北野天満宮の参道はまっすぐではなく、曲がっている理由はこの「地主社」にある。北野天満宮より先に鎮座していたのがこの社であるとか。つまりここが本来のこの地域の産土神ということだろう。
 天地すべての神々「天神地祇」を祀っています。この神様は、当初の全国の神様達を祀っているということだそうで、社殿は豊臣秀吉寄進のもの。

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 って、吉田神社の大元宮や京都福知山・内宮&外宮みたいなこと言っているな~。。

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因みにこのまま北門を抜けると平野神社の最短ルートになります。

↑本殿裏・本殿左の摂社・末社

崇道天皇社・吉備大臣社・櫻葉社・白大夫社・老松社・大宰少貳社・淳仁天皇社・文大夫社・藤大夫社・橘逸勢社・大門社・寛?社となり、朱色の方には、荒神社・貴布禰社・今雄社・早鳥社・御霊社・安麻神社・高千穂社・福部社となっている。全体的に言えることは記紀オールスターズと菅原道真に関係する神が多いということだ。

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最後にアマテラスとトヨウケを祀る「神明社」があり、また「文子社」があった。境内の摂社・末社で数社に祀られている。

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▽本殿左側の摂社・末社

梅園の時期は一部参拝ルート要注意です。
ここに行く最短ルートは本殿を左に抜けるルートです。オススメは本殿右側から周るルートです。

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ノミノスクネは相撲の神様であり、奈良に行くと菅原の足跡が数多くある。

→受験生は「一之保神社」と「奇御魂神社」へ!

 注目は道真の”奇魂”で、この奇魂は和魂の1つで、奇跡を呼ぶ神霊である。
 荒魂は「個人的なお願い」で、和魂は「世界平和」、和魂はさらに幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分けられ、幸魂は運によって人に幸を与え、奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きがある。
 この奇魂、幸魂を明示的に祀るところは珍しい。出雲大社はオオクニヌシの和魂を祀り、京都亀岡・出雲大神宮@出雲元宮はオオクニヌシの幸魂・奇魂となっている。

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2021年より前
2021年


↑稲荷社

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↑猿田彦社

 稲荷神社の脇に鎮座する末社で、祭神は「サルタヒコ」と妻「大宮売神」で、大宮売神はアメノウズメを指す。サルタヒコは「ニニギ」の天孫降臨した際に先導を務めた導きの神様。アメノウズメは、天岩戸に隠れたアマテラスを優美な踊りで神々を爆笑させ、岩戸を開かせた芸能の神様で、現代で言えば神楽を舞う巫女になる。
 最後に、サルタヒコとアメノウズメは結婚し、伊勢に住むことになる。その神社が伊勢一之宮「椿大社」である。

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↑伴氏社

 菅原道真の母は大伴氏出身のため、「ともうじしゃ」と名づけられている。ズングリムックリな鳥居が面白い。鳥居の足元が蓮華になっている珍しいもの。ここに神仏習合が残っている。

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最後に帰りは参道右側注目すると「東向観音寺」があります。ここは伴氏所縁の寺です。後述します。

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 昔々、ここも神仏習合で仏像があった。その仏像には肥後定慶が制作した変化六観音@重文が安置され、神仏分離で現在の大報恩寺に移されたことはわかっている。

▼梅園

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↑大杉社

写真はないですな。。。

↑宗像社

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↑梅園

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▽御土居(紅葉時期以外)

紅葉の名所!

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▼御土居(紅葉)

→2021年

ちょっと遅かったので外から見ました。

2021年
2021年
2021年
2021年

▼お祭り「ずいき祭」

▼縁日「終い天神」※2022/12/25

【京都師走の風物詩】2022年最後を飾る縁日『終い天神』☆骨董や掘り出し物満載

▼上七軒


▼食事処など

以下を参照。

▼東向観音寺

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 本尊は十一面観世音菩薩で、菅原道真公の作と伝えられている。ちなみに、大報恩寺でも道真作の仏像があることを記しておく。

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 土蜘蛛伝説を今に伝える遺物が残る。北野天満宮には酒呑童子を退治した鬼切丸という刀や灯籠がある。
 つまりは明治時代の神仏分離令までは北野天満宮の神宮寺という位置づけだったと思われる。

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酒呑童子と言えば、福知山市の大江山で元伊勢伝承の内宮・外宮があるところですね。これについては兵庫・京都の神社仏閣のあちこちに残っている話なので、いずれ纏めるかと。

▼旅行記

▽梅園と大将軍八神社

▽北野天満宮周辺の神社仏閣巡り




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