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不安は悪で、悪者は、いつも、私だった。

昔から、誤解を受けることが多かった。
男友達が多いことで、
男友達の彼女からもその彼女のまわりからも
変に勘ぐられることが多かった。

悪者は、いつも、私だった。

総じてだいたいの女子がそうであるように、
「悪いのは女」の法則だった。

男友達が誘ってきて彼女の相談にのっても
その彼女のためのプレゼントを買いにいっても
もっといえば、
挨拶をしたり話をするだけでも

悪者は、いつも、私だった。

昔、学生の頃は変に自信をもったりして
「はいはい、仲良しだからやいてんのね」
「スタイルそれなりにいいって言われるし
 フレンドリーだから話しやすいって言われるし
 そこをもってないからひがんでるのね」
なんて都合のいい解釈をした時期もあったりした。

でも、
今ならわかる。

彼女たちがただ、一様に不安定な気持ちを
抱えながら「好き」と思っていたことが。

だからといって私が今それを思うかと言われたら
特に思いもしないし
私の場合は彼の女友達を気にしない。

でも、
彼女たちは「不安」だったのだ。
そしてそれは言葉にならない漠然としたものだったのだ。

夜、なんとなく眠れないときのような
昼、時々駅で立ちすくんでしまうような
朝、満員電車でなきそうになるような
そんな「なんとなく」「漠然とした」「不安」

ちょうどよく吐ける相手が、私だったのだ。

同い年で(もしくは年齢が近くて)
彼氏のことをそれ相応に知っていて
なおかつ、
私はそれについて逆に怒ったり、
その男友達にいいつけたりしない。
さらにいえば
言い返しもほとんどしなかった。

だから、

ちょうど良かったのだ。

返さないことで腹は立つのだろうけど
それでも
多分、彼女たちにとっては
言い返してこない私がちょうど良かったのだ。

それに気づいたのは、上京をしてからだし、
その責めてきたひとりと和解してからだ。

彼女が、言っていた。
「ただ不安だったの。
 なにが、どれが、じゃない。
 その人が私を好きなことが。
 その人が彼氏であることが。
 私が彼女であることが。
 あなたが友達だってことが。
 ただ不安だったのよ。 それだけよ。」

そう。それだけ。
それだけ、と片付けられることに
私は学生時代、少なからず
傷ついていたのだけど。

それでも、それだけなのだ、きっと。

勝手でわがままで、気まぐれ。
それを受け止めるには
やはり、男だけではだめなのではないか

思った瞬間だった。

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