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30年経つということ

小学生の頃、卒業文集で「10年後の君へ」という題目で文章を書かされた。
その頃、私は文章を書くのも読むのも苦手で、ましてや現実に起こっていない未来を想像して書くなど、到底できるものではなかった。
当時の私は少年野球に明け暮れていた。
だから、「野球選手になる」と書いた。
イチローや松井秀喜で好きで、なるなら野球選手だ、とその時に決めた。
しかし、中学に進学し野球部に入るも平凡な部活動で野球選手は夢である前に幻のような存在になっていた。
10年後の未来がたった3年でかき消されてしまったのである。

小学校を卒業して10年後、私は大学を卒業していた。
たったそれだけであった。
22歳になってもただ単に人生のレールをあるがままに進んでいただけであった。
10年の月日で私はどのように成功しただろうか。
小学生の頃に思い描いた夢は既に忘れ去られ全く異なった人間になっただけであった。

30年前。
私はまだこの世に存在していなかった。
親は結婚していた。
兄は存在していた。

30年後。
私は還暦を目前としているだろう。
親はもしかしたらもういないかも知れない。
兄は還暦を迎えているだろう。

平凡な日常を過ごす中で、1年という月日の重みに気づく事もあった。
身近な人たちが変化していることに気づいた時、自分だけ取り残されたように感じた。
同じ1年を過ごしている筈なのに、密度がまるで違うのだ。
同じ形状だけれど、いくら風に吹かれてもビクともしない高密度な人生と些細なことで破裂してしまう低密度な人生。
人の形をした時の塊になってしまっていないかと怖くなることがあった。
同じ時間を共有した最愛の人間がこの世から居なくなる。
その喪失感と戦う人間。
治る見込みがない病に打ち勝とうと奮闘する人間。
心から願う人間。
その周囲の一部である私は当然のようにそこに存在していて、生きていて、時を過ごしている。
時を食べて形状を保ち続けている。
これが日常と呼べるのか、疑問に思う事もある。

たった1年先も分からない。
10年先の事を思い描いた私は、10年後そのことを忘れていた。
30年前の私は現在の私を想像すらできる存在ではなかった。
存在していなかった。
しかし、今。
私はここに存在している。
初めて30年後を想像して語ることができる。
世界は目まぐるしく変化を繰り返して思いもよらないテクノロジーが蔓延しているのだろう。
利便性に特化した世界で不必要なものは無くなっているだろう。
しかし、そうした夢の中のような特殊な世界の変容を想像していても、私に残るものは何もないだろう。
今だから思う30年後の未来は普遍的なものから逃げないでいようということだ。
私の悩みといえば、考えたり行動を起こす事でしか変えられないものばかりで、その他の当たり前に対して目を背けてばかりであった。
だから、軽はずみな夢をその場しのぎで語ってしまう。
経済やテクノロジーの変容の前に自分は自分を確かにもって、人を大切に思える人間でありたいと思う。
自分の人生を生きたと語れる人間になりたい、それか30年後の夢である。
当たり前を当たり前だと思わない。
大切なものを見失わないように生きていきたい。

2018/12/28 30秒先も分からない未来の自分へ

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