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友人と「アミ 小さな宇宙人」の話をしていた日記を見つけて振り返っていたらイイ話過ぎた。引用+感想

最近は、何をnoteにしようかというところで結構迷う。でも、これはnoteにしたいと明確に感じた。だって、これは人生の指針のようなものとして、大切に保管しておきたい言葉達だと思ったから。

「アミ 小さな宇宙人」 エンリケ・バリオス
Ami, el niño de las estrellas  Enrique Barrios
1986年(昭和61年)にチリで出版された小説。

アミが言う「今を生きる」とは?

「究極の目標は全人類が『愛』による行動をすることだ」

「進歩とは、愛により近づいていくことを意味しているんだ。」

「エゴは愛が育つさいの大きな障害になっている」

「愛が、人間のもっている可能性の最高のものだ。二番目は意識、三番目は思考」

「まだ現実に起きていない先のことをあれこれ気に病むのではなく、今起きていることにあたることのほうが賢明なことだよ」

「彼らは先々のことをいろいろ想像して、思い悩なやんだりなんかしないんだよ。ただ、このいまを充実させることを、まず心がけているんだ」

エゴじゃなくて、愛。すなわち、自分のことじゃなくて、みんなのしあわせ。それが究極的には自分の幸せに繋がる。わかってる。

でも、24の自分には、まだ早い。自分のコップを満たしてあげてから、余剰分をみんなに惜しみなく与えていきたい。最近Giverになろうとかよく言うけど、まずは自分だよね、と思う。それでいい。

そのために「こども時代」というエゴを満たすための期間がある。そこでも足りなかったら、エゴを学業なり仕事なり趣味なりで満たせば良い。満ち足りたら、自然と次のステップにいけるんだろうな。

両親、祖父母がどんな気持ちで無条件の愛を自分に与えてくれているのかはわからないけれど、シンプルに、それが幸せだからって感じなのかも?

子ども・おとな

純粋な子供の頃に感じていたことが、大人になると分からなくなる。現代の競争社会の中、エゴイズムを持ち、常に損得勘定で生きてしまっている大人の痛いところを突いてくる本。

「おとな」はこれを信じないかもしれない。「世の中はこんなに単純じゃない、綺麗事だ」と思ってしまう人がたくさんいると思う。

それは心が汚いのではなく、むしろ上手に環境を受け入れながら、一生懸命生きてきた人ほどそうなのかもしれない。

誰よりも苦労をして、人より苦しい思いをしている人ほど、なぜか頑固になってしまうことがある。

愛という法を体現するには、訓練が必要だ。でもそれは苦しいだけの訓練じゃない。

心から信じられる大きな目的があるだけで、人は生きていられると思う。私も信じたいと思った。

愛という法を体現することは、小さかった頃は簡単にできていたのかも知れない。おとなになると、社会的な体裁が云々とか、誰にでも甘えていたら、どうしようもない、とか。愛を持った関わりに制限がかかってしまう気がする。

というか、制限をかけているのは他の誰でもなく自分。大人になるということは、ある意味感情に抑えが効くくらい成熟するということだと思っている。

でも、自分の中に、「こどもバージョンの自分」も飼いならしておきたい。どういうことかというと、嬉しいときに嬉しいって言って、ありがとうと思ったときにはしっかり感謝を伝えて、嫌なときはリスペクトを持った形でしっかり伝える。そういう「愛という法」を体現していきたい。

悩みや心配への処方箋

「起こらなかった問題や、これからもけっして起こりもしない問題を心配して頭を悩ませて生きていくのをやめて、もっと『いま』というときを楽しむようにしなくちゃ、人生は短いんだ

「もし現実に何かの問題に直面したときは、それに全力であたって解決すればいいんだ」

「起きもしない事を 心配しながら生きていくのが 賢明なことだと思うのかい?」

この『いま』という瞬間をこんな美しい夜を じゅうぶん満喫しなかったら、それこそなんとおろかなことだろう…」

「どうして、じっさい 起こりもしないことに 頭を悩ませて現在を犠牲にしなくてはならないんだい?」

ある意味では行き当たりばったりの人生がちょうどいいのかも知れない。旅をしていてもたくさん感じた。ヨーロッパで友達のところで泊まっていたら、その街を楽しむの時間もその友達との時間も全然足りなくて、滞在期間を延長したりしていた。

悔いが残らない最高の旅にするって決めていたから、いつも次の予定が決まるのはギリギリだった。でも、別に問題はなかった。バスだって、間に合わなくて乗れなかったことも会ったけれど、友達がアプリですぐに電車を予約してくれて、お金はちょっと余分にかかったけれど、同じ時間くらいに次の目的地にちゃんと到着出来た。

準備はもちろん万端な方が良いけれど、それに時間と労力を総動員して疲れちゃったら勿体ない。場面によって、どれくらい心配して、予定を立てたほうが良いのかを考えたい。

東南アジア旅では、もうちょっと入念にプランした方が良かったかも。春節で乗りたいバスが連日満席で、ラオスからベトナムに行く日を後ろにズラしたりしないといけなかった。完全に準備不足だけど、まあ言ってしまえばなんとかなっている笑

人生の目的

もし未来が前もってわかっていたとしたら、人生はまったく意味をうしなってしまうだろう。人はただ可能性を推しはかることしかできない。

人生は、人生が与えてくれるものを、健全に満喫する以外に目的はない。人生が提供してくれたすべてのものに、注意の目をむけるようにつとめてごらん。

頭ばかりで考えるかわりに
感じるように
知覚するように努めてごらん。人生の深い意味は、
思考のもっとむこう側にあるんだ。

人生には少しも素晴らしいことがなく
危険なことばかりで
いっぱいだと思いこんでいる。潮の音も耳に入らなければ
夜の香りも感じない。歩いていることも
ほんとうに「見る」とは
どういうことなのかの認識もない。呼吸することも楽しまない。きみは、いまは
催眠状態にいるんだよ。

もし、人生やその瞬間が
美しいと感じはじめたとしたら、そのひとは
目覚めはじめているんだ。目覚めているひとは「人生はすばらしい天国」であることを知っていて、瞬間、瞬間を満喫することができる。

善と悪

人は悪よりも善の部分を多くもっている。みな自分のしていることは正しいと思ってやっている。あるひとは間違いをおかす。でもたいていは、過失から出たことで、悪意があってやったんじゃない。

たいていのおとなは、おそろしいことだけが真実だと思っている。物欲ばかりに目がいって、武器を崇拝したり。美しいものや、真実などには、まったく興味がない。闇を光と思っている。
人生の価値を完全にとりちがえているんだ。

思考を愛に使おう

もし思考が愛のために使われているとき愛のために奉仕しているときには、たいくつというのは、ありえないんだよ。最大の幸福は、ひとに奉仕することによって得られるんだよ。

さいごに

この2024年3月19日の朝8時30分に、24歳の笠井康弘自身が、これ(2021年7月21日に友達と話していた時のメモ)を読んだうえで何を感じていたのか、それもきっと将来の自分へのプレゼントになる。

なんかカッコつけみたいになってる気はするけど、本気でこれはいい内容だと思ったから、noteにした。皆様ともこれを共有して、よりよく生きていきたいと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


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