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こんにちは、終活アドバイザーのヤスジンです。

終活は「死ぬための準備」ではなく、
「限りある人生を悔いなく幸せに生きるための活動」です。

終活に最適な趣味として、私は俳句をオススメしています。

さっそく俳句入門も買いました。

この本を読んで思ったこと

俳句は簡単とは言わないが、そこまで難しくはない

ということです。

例えば…

一列二十本バカリユリノ花

正岡子規の有名な句だそうです。
20本も百合の花が並んで咲いていたんですって。
ふーん。良かったね。

夕空にぐんぐん上がる凧のあり


これは子規の弟子の高浜虚子の句。
今では見かけませんが、
昔は子供達が凧揚げして遊んでいたのでしょう。

どちらの句も日常の風景を
五七五でつぶやいているだけと言ってしまえば
それだけのようにも思えます。

ワビサビ等はそんなに意識しなくても良さそう。

とはいえコツはあるようです。

「楽しい」「綺麗」みたいなダイレクトな形容詞
あまり使わないほうが良いでしょう。

句を読んだ読者に情景を想像してもらい
「楽しそう」とか「綺麗だな」と思ってもらうほうが良いのです。

さっき凧の句も自分から「楽しく凧揚げ」とか書いちゃうのはいまひとつ
ぐんぐん上がる凧の様子から読者に楽しさをイメージしてもらうのが
良い句なわけですね。

つい「夕日美し」とか言いたくなるので
その辺の感覚はやや難しいかもしれません。

「季語」も俳句を難しいと思わせる要素です。
使わないといけないみたいな「制約」として
考えるとそうかもしれません。

そうではなく「季語」は
短い単語で舞台背景を読み手に伝えられる便利な仕組み
なのです。

ファンタジーRPGで「剣と魔法」という単語がでてくると
いちいち説明しなくてもどんな世界なのか
大体イメージできます。

それに近いのです。

例えば春の季語「花の道」という5文字だけで
桜が咲き誇る並木道という春の明るく楽しいイメージ
読み手に伝えることができるのです。
季語無しでそのイメージを伝えようとしたら、
それだけで17音使ってしまいます。
便利な仕組みですよね。



俳句は、日常の風景を切り取るという意味では
写真撮影に似ています。
エアカメラで
写真や短い動画を撮影するような
感覚だと思えば作りやすいかもしれません。

自分ならではの視点で日常を切り取り、言葉にする。
それは自分がこの世に生きた証を残す行為とも言えます。

おおげさかもしれませんが、自分らしい俳句を作ることすなわち終活
言っても良いかもしれません。

私も引き続き、俳句作りに励みます。
ここに載せようかとも思ったのですが、
俳句コンテストに応募したいので未発表にさせてください。



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