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私は毒親を恨んでいるようで、実は社会全部を恨んでいる

恨みを向けている相手、実は


毒親家庭に生まれたから、幼い私に危害を加え真っ当に養育をしてくれなかった親…両親と同居の祖父母のことは当然に恨んでいる。
性加害者である親戚のことも恨んでいる。

だがしかし、恨みの感情は、単に個人や身内だけに向けられていない。

精一杯のヘルプを出したのに気付いてくれなかった学校の担任の先生。(とってもいい人でした)
私の存在に気付いて来てくれなかった児童相談所。
泣き声や物音、大声の内容が日常的に外に漏れ聞こえていただろうに、「あなたの家、大丈夫?」「親から何かされてない?」と聞いてくれなかった近所の人達。

「誰も助けてくれなかった」という気持ちは、親だけでなくこの世界全体に向けられている。

いや、何より恨んでいる相手は、
「子供を持ってこそ一人前」
「子供を作らないといけない」

という風潮があった社会そのものだ。

父も母も判断力の弱い人だった。
自分達の責任能力や世話能力で、子供を作ったらどうなるかなんて、考えることができない人達だった。
もしも社会が「子供を産むのも産まないのも全くの自由だよ」という「子供がいなくても何も言われない社会」だったら、彼らは子供を作らなかっただろう。
何より彼らは子供のことが全く好きじゃなかった。
だけど私が産まれた1980年代というのは、「子供を作らない大人はまともな人間ではない、欠陥がある」という価値観が圧倒的に幅を効かせていて、「まともな人間という免罪符」が欲しい彼らにとって、子供を作らないという選択肢はなかった。
特に母が知的障害だったから、家族全員「まともな人間という免罪符」が、健常な人よりもずっとずっと欲しくてたまらなかっただろう。

彼らも気の毒なのだ。
ドケチな人達で、無駄なお金を1円も使いたくないだろうに、「まともな人間の免罪符」を得るために何千万もかかかるはずの子供を作らされて。いやいや作ったんだろうな。


大人なんだから自己責任だと言いたいところだが、父はともかく母は知的障害者だ。精神年齢は10歳そこそこだったろうと思う。
家族が診断を受けさせていないので、正確な精神年齢はわからない。知的検査をさせなかったのもまた「まともな人間の免罪符」のためである。母の両親(私の祖父母)は「知的障害のラベルが貼られたら終わりだ」と考えて検査を受けさせなかったのだろう。

10歳の女の子が「まともな人間の免罪符」を得るために、男性と性行為をし、身体を痛めて妊娠出産し、赤子の世話をし、十数年に渡って養育する。
と決意する能力など果たしてあっただろうか。
知的障害者は子供を産むべきでないと言っている訳ではない。
悲劇なのは、周囲のサポートが一切なかったことである。そして最大の不幸は、免罪符のためだけに産まれてしまった子供の存在、つまり私である。
社会の「子供を持たなきゃまともな人間じゃない」という風潮が、不幸な子供を産み出した。



最近の話


ここ数年、医療関係に勤める彼女(BIG LOVE…)ができ、私自身も福祉業界で週一のアルバイトをすることになって初めて気付いたが、私はかなり社会の救済能力を信じていない。というよりは、この世界に救済能力などないと強固に信じ込んでいる。
今まで社会のセーフティネットにかすりもしなかったので、当然といえば当然だ。
子供の頃はもちろん、大人になって毒親家庭から逃れた後も、人より極端に身体が弱くまともに働けないのに、病名がつかないから障害者として認定もされず、生活に困窮しても「家族に連絡される」ことを恐れて生活保護に頼ることも出来なかった。
救いを求めて手を伸ばす力すら失っていた…いや、最初から持ち合わせていなかった。

それがここ数年、何かの拍子にポロッと障害者手帳を取得でき(実際に一番困っている身体障害で認定された訳ではないので納得感は薄いが、取れたものは取れてしまったのだ)、また福祉関係にピアスタッフとして潜り込むことで、この社会には困窮者を助けるために行動している人が沢山いること、その人達(医療関係者の彼女氏も含む)は善意や使命感を持って行動していること、困窮者を助ける制度があり実際に機能していること、セーフティネットにかかって人生の立て直しができている困窮者の姿を見ることで、「私がたまたま網にひっかからなかっただけで、この社会に救いはちゃんとあったんだ」とこの目で実際に見て認識することができた。

時代が変わったのも大きい。数十年前の大阪の福祉はひどかったと思うが、最近は昔に比べて市役所の窓口が横柄じゃなくずいぶん優しくなったし(ちょっと優しくなりすぎでは?職員のメンタル大丈夫?と逆に心配になったりする)、福祉に関しても支援を受ける者を見下す風潮が弱まったと感じる。


「なんで救いは私のもとには来てくれなかったんだ!」と嘆く気持ちがない訳ではない。
だけど、「救済措置などこの世にはない」という認識から「救済措置はあるけど、たまたま私は30年間得られなかった」という認識には変わった。
そして今、ピアスタッフとして障害を考慮して働させてもらったり、障害者手帳を受け取ったり、私もやっと、やっと福祉の網にかかった。
「困り事は家族の中で助けあってくださいね」と、残酷な通達で地獄の家庭の中に押し込まれなくて済んだのだ。
38年生きてきて、今が一番ホッとしている。

「社会に助けられた」という成功体験を少しずつ積み重ねて社会への恨みをときほぐして、社会への信頼感を少しずつ構築していきたい。
そして、助けが必要な時に「助けて」と声をあげ、救いを求めて手を伸ばせるように、なっていきたい。
この先の人生が少しでも助かるために。

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