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12年前のあの頃の闘病生活 その2

前回のnoteで2回目の通院ですぐに薬が強いものに変更されたところまでを書きました。
このシリーズは今回とあともう1回くらいで終わらせる予定です。12年前の話ですし。
もう少々お付き合いください。

ひどくなっていく症状と増えていく薬

薬が強いものに変更されたものの、症状は悪化の一途をたどりました。
仕事を休んでいないことがいちばんの悪化の原因だったと思います。
飲まない子もいますが、基本的にアルコール摂取は当たり前の仕事で、起きるのは昼過ぎ、不眠症で寝るのは朝明るくなってから。

毎日、かなりリアルな酷い悪夢を見て、1時間置きに目が覚める。
その不眠と薬の副作用で身体がダルくて食欲もない。
お店でお客さんと一緒に食べる軽食やおつまみ以外は口にしない。
どんどん減っていく体力と体重。

ですが、生きていくため、音楽を続けるために仕事を休むわけにはいきませんでした。

とうとうODに近いことまでやらかした

どうしても調子が悪かった日がありました。
薬を飲んでも不安症状が全く回復せず、気持ち悪さとダルさがひたすら残る。
だけどその日は、お客さんの予約が複数入ってました。
お客さんの指名が減ることだけは許されない、とにかく行かなくちゃ。稼がなくちゃ。

そして、とうとう、通常1日3回の抗不安薬を30分置きくらいに服用して出勤。
その後、普通にお酒を飲んで吐いて。
1時間置きくらいにまた薬を飲んでいました。
(処方されて飲み忘れたり調子良くて飲まない日もあったから、結構余っていたものを服用していました。)

意識朦朧のまま、仕事を終えて、ヘルプで行っていた知り合いが店長をやっていたお店に行き、薬を没収されて泣きながら控室にこもったこともありました。

彼は最近はあまり連絡を取っていませんが、とても良き理解者であり、真剣に私の手を取って

「そのままじゃ死ぬぞ!お前がやってることはODと変わらないぞ!」

と叱ってくれたことを記憶しています。

なかなか改善しない症状と通院に心が余計にすり減った

そうして通院して3ヶ月が過ぎました。どんどん強くなり、種類も増えていく薬。
繰り返される同じ質問にも、飽き飽きしていました。
睡眠導入剤も効かない、朝8時頃に寝て夕方に起きて仕事の日々は変わらず。
何もしたくない日々が続いて、部屋は散らかり放題。
食事は取れたり取れなかったりで、体重はとうとう35kgにまで減ってしまいました。

仕事でも自暴自棄になってしょっちゅう酔っ払い、お客さんそっちの気でひたすらお酒に頼って、お店でも怒られてばかりいました。
当然指名も減っていきました。

家に帰って、薬で気持ち悪くなって吐きながら、この生活を繰り返して、このまま死んでいくのかなと思いました。

きっとこの時期がいちばん辛くて、「死んだ方が楽だ」と思いながらも、「生きること」に執着していた気がします。

それでも、ピアノを弾くことだけは辞めませんでした。辞めることができませんでした。
その時に弾いていたのが、ショパンのバラード2番。
大きなホールで人前で演奏することを辞めた曲です。


次回に続く。

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