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文学的経営について

「凜」「希望」「刹那」。

私が好きな言葉の字面は、なぜか画数が多い。そして一見、前向きな言葉のように思えるけど、その現況と体温は低め。

「暗いからこそ、凜とする」「いまは困難だけど、前には希望がある」「人生という楽しくも長い時間の中で、刹那を生きている」。これを美学というか、ナルチシズムとなるか。

いずれにしても、私自身の根幹にある性格と思想は、常にいまが最も暗く、いつも前を信じて進むことを信じている。だから今日も誰かと話すし、明日を信じて前向きでいようとする。人生において、過去に戻りたいと思ったことは、一度もない。そうすることが、自分にとっての希望であるからだ。

そんな本来の「内向き」な私を忘れて、常に「いまも明るく、前も信じて進む」ときがある。仕事をしている「外向き」の私は、本来の私を捨てさせてくれる。立場上そうなったのか、もともとそうだったのかは、もう記憶にもない。人生を、いつも刹那的に生きている私が、仕事のときだけ視野を広く持てる。体温が高くなる。

思えば、これまで様々な仕事に就いてきた。営業、新聞記者、コピーライター、クリエイティブディレクター、コンサルタント、事業開発、経営。私は、勘違いされることが多い。私という人間に、いつ会ったのか、どこで会ったのかによって、私に対する見方が異なるからだ。優しいという人もいれば、怖いという人もいる。真面目と捉える人、不真面目と見る人。明るい、暗い。細かい、大雑把。丁寧、横暴。そのどれもが正しく、どれもが間違っているのかもしれない。

そんな「内向き」と「外向き」を、私は行き来しながら、今日も会社を続けている。これまで4年間、なんとか生きながらえてきたのは、周りの支えがあったからに他ならない。これまで出会ったすべての人たちの顔を見ると、常に「外向き」で振る舞うことができ、なんとか今も先も信じて進むことができた。

もちろん多くの困難もあったが、「外向き」の私は、いまを後ろ向きに捉えることはしない。過去を振り返ることもない。ただ今を信じて、前に進む。なのでどんなHard Thingsも、すべてをSoft Thingsだと捉えることができる。こうして本来の私では乗り越えられない壁を、外向きの私がリードしてくれてきた。

気づけば、ようやく法人と言えるほどの売上や利益も出てきている。いろいろな困難から気づけた反省を活かし、しばらくの間は落ち着いて運営できる状態になった。それもみな、出会ったすべての人たちのおかげ。もちろん出会いと同じくらい別れもあったが、そのすべてが循環することで、それぞれに今と未来がある。

会社を設立して、丸4年。初めて、年度を振り返る余裕もできた。5年目を迎えた私と私たち。すぐには難しいが、そろそろ「内向き」な私に、経営させてみたいと思うようになってきた。

私たちは、ベンチャーだけど、スタートアップではない。急激な成長や市場変革ではなく、持続的な成長と経済環境に貢献する。そのためには、論理を求める経営学的な思考だけではなく、感情を重んじる文学的な解釈も重要である。

「あの女性は、なぜ笑っているんだろう」
「この子供たちは、どうしてこんなに楽しそうなんだろうか」

感性を磨く。
5年目以降の私、そして私たちが大事にしたいこと。「いまはそれが不足しているけど、前には可能性しかない」。みんなで凜として、希望をもって、この刹那を大切に過ごそうと思った、2023年4月1日の夜。

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