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自分の中の両親の影

「不幸になれ」と直接言われてないけど
両親とも自身が不幸であると認識し、不幸であり続ける選択をしていました。

「お前に価値はない」
「ダメ人間が幸せになれるわけない」
「自分達を差し置いて幸せになるなんて許さない」
そんなプレッシャーを小さい頃から感じていました。

父は遊んだり楽しむことをしませんでした。
外食に行っても必ず不満を言います。
「待ち時間が長い!」
「料理が来るのが遅い!」
「店員の態度が悪い!」
「不味い!」
必ず言う言葉です。
全く楽しもうとしないのです。
一緒に食事をする側からしたら本当に気分が悪いですし楽しくありません。

趣味もありませんし友達もいません。
遊びに出かけることもしません。
家ではずっと惰性でテレビを見ているか、寝るか、私を貶め罵倒するかです。
父からポジティブな言葉を聞いたことは一度もありませんでした。
それだけ父は自分は不幸で惨めだという意識に囚われていたんだと思います。


母は自分が可哀想な生い立ちで愛されなかった悔しさ、悲しさを子供で埋めてもらおうとしていました。
子供に面倒を見てもらう、子供に愛してもらう、子供に責任を負ってもらう、子供に決めてもらう、子供にやってもらうそれが当たり前。
完全に親子逆転です。

子供が成した成果を褒めたことは一度もありませんし、努力しているところを応援したこともありません。
けれど他人が凄いね!と感心して褒めると、まるで自分の成果のように捉え自分が褒められた気になっているのです。
その姿を見て私は嫌悪感でいっぱいになるのです。
「あなたは何もしていないのに何で自分の手柄にしているの?」
「あなた私がどれだけ時間をかけて努力したか見てないでしょう」
「なんて身勝手なの」

父にも母にもうんざりなのに私の中に、父の「幸せなってはいけない」
母の「全て他人任せで責任を取りたくない」
という人として最低な部分が刷り込まれ、受け継いでしまったのです。
何としてもこの嫌な部分を書き換えたい。
幸せになりたいし、自分で選択し自分で決めてその責任は自分が背負う。
そう生きていきたい。
その方法をどうしたら見つけられるのか分からないけど諦めるつもりはありません。

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