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他者の価値観がもつ影響力

お久しぶりです。

夜灯です。

近頃は読書に力を注いでいて、本の虫とまではいかないものの本の蛹位にはなっています。笑

それにしても、友人にお勧めしてもらった本を読んでいると、まるでその友人の思考がなだれ込んできたのではないかと錯覚して、時に苦しくなったり嬉しくなったりしますね。。


何故か客観的な気持ちになって、自分の記事の一覧を眺めてみたら、思いの外呟きばかりで驚きました。

なんだか少しゾッとした心地もする程に。

昔は記事ばかり書いていたのが、いつの間にか呟きばかりになっていたなぁ。

きちんとさせたいと言うより今この言葉を記したい、そしてあまり長く述べるようなことでもない、という感覚からです。

ありのままを記録して、私の闇を記すことで誰かの灯になれればという想いからnoteを始めたので、

綺麗な形にしたい気持ちもありますが、これはこれで意味があると感じています。


さて、今回のお話は他者の価値観が持つ影響力について感じたことをお話ししたいと思います。

大人になってから、家族を個々の一人として認識することが増えました。

これは必然的な現象かと思うのですが、皆さんもそうでしょうか?

私は父との関係が悪いので、父親という存在を分離して考える必要があったのですが、

お母さんに対してもそうした一人の人間として捉えるという感覚を最近は感じるようになりました。

昭和という時代がそうさせているというのもあると思うのですが、両親は個人の思想が強い人だなと思います。

その両親に育てられた訳ですから漏れなく私もどちらかと言うとそういう人間だと自覚しているのですが、

両親の顔色を伺うという行為を幼い頃はもっと自然のものとして受け入れていたのが、

大人になるにつれ自己表現の幅が広がり、何かがおかしいという感覚が芽生えていった気がします。

勿論「家族」として愛する気持ちはあるものの、その強い価値観から逃れたいと思う気持ちも有るのです。

そういった潜在的とも意識的とも言える感情から、何でも受け入れる心を持つ人が好きで、

つまりは恋人もその様な人に当てはまるタイプの人なのです。


では、両親は価値観が有って、恋人には価値観が無いのか?

という疑問が生じたのですが、なんだかそれは変な表現だと思いました。

何でも受け入れるという価値観もまた強烈な価値観のように感じるからです。

つまりは価値観に有無は無く、どれも等しい強さで他者に影響を与えるのであり、

その価値観によって自分が息苦しくなることも有れば、

心地よく安心していられる環境を提供してくれることも有るという違いなのではと。

私も愛する人達に心地よい環境を提供できる価値観の人間でいられればと切に願います。


それでは、また次回お会いしましょう♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

夜灯でした!

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