#エッセイ『思い出の味』

   これは僕が高校生の頃の話です。ある休日の夕方、夕食の為に食卓に着こうと思ったら鮭缶を手にしてしみじみとした感じで見つめてる父親がいました。その当時僕は高校二年で十七歳、父は五十前後でした。その缶詰を見つめながら「懐かしいな・・・」と呟いたのです。それを聞いて、僕は何が懐かしいのかと尋ねると父は、新婚当初の若いころを思い出すと言うのです。両親は二十代中ごろで結婚し、父の給料はまだ低く、月末になると家計は苦しかったそうです。時代は昭和三十年代の終わりから四十年代の初めの頃で、日本の社会が豊かになりつつあるといえども今ほど安くて気軽に食べ物が手に入るという時代ではなかったそうです。月末の給料日前になるとこの鮭缶を開けて夕食に食べていたとの事でした。両親にとっては金銭的に苦しい時代でもあったらしいのですが、日本の社会全体も国民の一人ひとりも未来に向かって希望のある時代だったそうです。時代の雰囲気も後押しして、あの頃は苦しくても笑顔と若さで乗り切れたそうです。そしてこの缶詰を開けて食べようと言い出して缶切りで缶を開けて食べました。父にとってはその缶詰の味は当時のままだったらしく、その味が若かったころを思い出させてくれたそうです。僕はそんな光景を見つめながらこんな形の懐かしさというのもあるんだと思いました。食べるという行為は人間の生に直結している事でありますし、その人の生活スタイルが強く反映されますので好みの味はそれぞれありますが、きっと多くの人がそんな感じでの“懐かしいさ”という思い出を持っているのではないでしょうか。
 食べ物の好き嫌いがあまりない父なのですが、実はバナナが苦手なようで、その思い出話も聞いた事があります。それは戦後すぐの昭和二十年代の中頃だったそうです。当時の父は小学校に入ったばかりで、それこそ戦後の食糧難だった時代です。あの時代にお腹を空かせた子供たちは欠食児童と呼ばれていたそうです。もちろん父もそんな子供の一人だったそうです。父には年の離れた二人の兄と姉がいて、その二人がその頃によく「あーバナナが食べたいな~」と言っていたんだそうです。なんと父の年上の二人の兄姉は戦前にバナナを食べていたそうです。ちょっとハイカラな感じがしますね。戦前の日本は全体的に少し暗い感じがして食べる事にも事欠いたのではと想像しがちですが、実は食糧事情としてはそんなには悪くはなかったそうです。戦争が始まるまでの昭和十年代の日本はちょっとした飽食の時代を迎えていて、食べ物が無くて苦しんだというのは戦争が始まってからだったそうです。そしてその続きで日本は戦争に負けて国土全体が焼け野原になり、戦後もしばらくは食べる事に国民全体で困ったそうです。その戦後のイメージが強いために現代では戦前から食糧事情が悪かったと思われがちになっているそうです。ただ、昭和の初めには世界恐慌があったという事と、国内の貧富の差が激しかった為に、特に地方の農村部などではドラマ“おしん”のように苦しい生活をしていた人たちも大勢いたというのは事実だそうですが・・・。その時代を生きたわけでは無いので肌感覚の実情は分かりませんが、少なくとも現代の私たちが思うよりは豊かな食糧事情だったそうです。そして話が逸れましたがバナナです。バナナは戦前当時の日本が占領していた台湾などから入って来たそうです。それで父の二人の兄と姉は戦前にそれを食べた事があったそうです。その経験があるから戦後の腹をすかせた時代に二人がよく「バナナを食べたい。」というのが口癖で、食べた事のない幼い父は“バナナとはどんなに旨いのだろうか?”とつねに憧れていたそうです。昭和二十年代と言えば甘いお菓子なんかほとんどなく、たまに甘い物を食べられる時があるといえば、それは進駐軍の米兵が街でくれるチョコレートくらいしかなかったそうです。いつか食べたい、いつかはバナナを食べたいと思いながら過ごしていた時の事です。ある日、祖父が仕事帰りに闇市でバナナを手に入れて帰ってきたことがあったそうです。父は嬉しくて一目散で駆け寄りバナナにかぶりついたそうです。そして一口パクっと食べたら、その食感が気持ち悪く、そして青臭い味がして飛び上がったと言っていました。あんなに憧れたバナナがこんなにマズいなんてと戸惑って、かぶりついた一口分だけを口にしたままトイレでそっと吐き出したと言ってました。実は僕もバナナはしそんなに好きな方ではないので、その気持ちはよく分かると思って笑いながら聞いた記憶があります。これと同じ様な話は実は母からも聞いた事があり、母も戦後すぐの子供の頃、少し裕福な友達の家でバナナを出してもらった事があったそうです。その時子供だった母にとってもバナナは初めて食べるもので、一口食べたらそれを口に含んだままトイレに直行してそのまま吐き出したというのは父と一緒の事をしていたそうです。その話も聞いた時は笑ってしまいました。やっぱり食べ慣れない物はその味も食感も受け付けなかったのでしょう。そんな気持ちは分からなくはないです。時によっては自分にとってマズい物でも懐かしい記憶になってしまうんですね。
 そして僕にとっての思い出の味は、明治のアーモンドチョコレートです。僕の記憶では幼稚園に入る前だったと思うのですが、昼下がりに毎日のように母が晩の買い出しに駅前のスーパーに行くのに付いていくという日々を過ごしていました。僕はカートの椅子に座るのが嫌だったので、スーパーの中では放し飼いにしてもらっていたのですね。そしてお菓子売り場の前にチョコンとしゃがみこんで一人でお菓子を吟味しながら母が来るのを待つのです。そして最後にレジン向かう時に拾ってもらうのです。そこでそのアーモンドチョコレートの箱を手に取って「これ買って!」とねだるのです。大体は「ダメよ!」と言われるのですが、何回もそんなやり取りをして母も根負けして買ってもらうという事も多かったです。今思い出しても美味しかったですね。何回食べても“こんなうまいもんがあるのか!”と食べる度に思っていました。大人になってそんなに甘い物を食べなくなりましたので、自分がアーモンドチョコレートを好きだったという事すらあまり思い出さなくなりました。そんな日々を送っているさなかに、休日にスーパーなんかに行ってアーモンドチョコレートを見かけると子供の時の事を思い出したりして懐かしさがこみ上げてきたりします。
 こうやって考えると不思議なのですが、人は物を認識するのは、その用途と規範と価値だったりするのですが、時と場合によってはその思い出という事も含まれて来るのですね。何かの折に昔を思いだすという事は多いでしょうが、今回は食べ物という事で紐解いてみました。みなさんもたまには昔好きだった食べ物を探してみて、その味と共に昔の思い出に浸ってみるのはどうでしょうか?

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