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天正11年(1583年)4月21日は賤ヶ岳の戦いに決着がついた日。

天正11年(1583年)4月21日は賤ヶ岳の戦いに決着がついた日。
織田家の跡継ぎを巡り、豊臣秀吉と柴田勝家が本気でぶつかり、豊臣軍の勝利。
なぜ秀吉が勝てたのか。
前田利家の裏切りがあったから――そう説明されますが単純なものでは無い。秀吉人生でも最高に冴えわたっていたこの頃の戦いは天下簒奪の野望へ突き進む強烈な力を感じる。教科書では秀吉勝利は当たり前、さらっとしか触れませんが、下馬評では秀吉の絶対的不利だったと考えられる。信長が手塩にかけた最強軍団長の柴田勝家とその与力は武闘派揃い。対する秀吉は攻城戦などの侵略に長けた戦略チーム。正面で激突したら圧倒的に勝家有利となる。そこは秀吉、勝家養子の勝豊を孤立させ篭絡、後詰の滝川一益や織田信孝を事前に潰し、本戦では勝家自慢の猛将佐久間盛政を誘い出し殲滅…変幻自在の戦術を繰り出した #光る君へ #大河ドラマ

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