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なぜ「子育て」に恐怖心があるのか考えてみる

2024年になりましたね!
私も今年で25歳になり、「アラサー」の仲間入りを果たします。

2024年初の投稿として、「子育て」に対する恐怖感について、今の考えを置いておきたいと思います。
なんか怖い、っていう漠然とした気持ちを、こうやって言語化しておくのって、自分の思考を整理する上でも大切なことだと思ったので。


子育ての怖いところ、まず思いつくのは先天性疾患や障がいでしょうか。
先天性疾患の原因は様々ですが、特に怖いのは「染色体異常」のパターン。
有名なのはダウン症候群でしょうか。
染色体異常は、偶発的に起こるものであり、現状では予防策が存在していません。

そして、発達障がいに代表されるような障がい。
こちらも、遺伝的要因×環境的要因が原因となることしかわかっておらず、予防策が存在していないという意味では同じです。

もし、自分の子どもが先天性疾患や障がいを持って生まれてきたら。
あるいは、成長の過程で障がいがあることに気づいたら。
私は、率直に、親として彼/彼女を育てきる自信がありません。
彼らを産んだことを、後悔しない自信がありません。

この不安を母に吐露した際、「赤ちゃんは、自分を育てられる親を選んで生まれてくるから、きっと大丈夫だよ。」という言葉をかけられて、本当に嫌だと思いました。
そんなはずないのはもちろんのこと、この言説が辛い思いをしている人を呪いのように苦しめる気がしてなりません。

SNSでも、障がいを持った親から生まれ、自身も障がいを持つことになった方々が、「産まないでほしかった」と言っているのを見て、私自身は今のところ障がいと呼ばれるような特性はないのですが、それでも、「もし自分の子どもに障がいがあったら…」と考えることを辞められないのです。
「産まないでほしかった」と自分の子どもに言わせてしまった時、私は責任をとることができないのですから。


障がいに限らず、一人の人間の人生の責任を持つことへの恐怖感もあります。
まず、私という人間が未熟であり、親になる資格がないと感じています。
自分の人生や選択に自信はありますが、他人に道を示したり、支えたりするのは全くの別物です。

例えば、自分の子どもが犯罪者になったら?
犯罪まで行かなくとも、他人に迷惑をかけてしまったら?
ゲームのようにリセマラできないのに、一体どうしたらいいのか、考えただけで怖いです。
「そうならないように育てたらいい」と言われるかもしれませんが、親としてできることには限界があり、愛情を注いだからって必ずしも避けられるとは限りません。
このように子育てに「正解」がないのも恐怖感に繋がっているのかもしれません。

そして、私自身が「生まれてきてよかった」と心の底から思えないことも、不安に思う一因になっています。
人生は楽しいことばかりでなく、むしろ辛いことも多いと思っているので、子どもに対してそれを強いるのは罪悪感もあります。


私が子どもを産んだとして、その子どもが生きていくであろう世界(22世紀とか見られるのかな)が、良いものである確信がないのもあります。
昨今の世界情勢を見ていると、第三次世界大戦も全然あり得るなと思ってしまいますし、日本だって永久に安全とは言い切れないと思います。
気候変動とかも含めて、ありとあらゆる面で今より良くなるイメージが持てていないので、その世界で生きるのって幸せなのかな…?と純粋に疑問に思っています。
そういう考えを持っていながら、子どもを産んでしまったら、いつか子どもに恨まれる、あるいは自分が後悔してしまうのではないかという考えが捨てきれません。

例えば世界大戦になったとして、そんな時代に生きることを強いたくないという気持ちが強いです。
これは恐怖感とはちょっと違うかもしれません。


色々書きましたが、反出生というわけではありません。
生まれてくることが望まれていようがなかろうが、どんな子どもにも幸せになってほしいと思っています。
元々、私自身は子ども好きです。
今年3歳になる姪っ子も含めて、子どもは可愛いし、興味深いので、結構というかかなり好きです。

現状では、他人の子どもを適度な距離感で愛でて、彼らの生きていく社会が少しでも良いものになるように働く、というのが理想的だと思っています。

まあ、問題は今の彼氏が子ども欲しい派であるということです。
憂鬱。

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