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「弥七ビデオ」で気づいたこと~みんないるからみんないい~

前の記事の続きになるのですが、

超大好きな「弥七ビデオ」なるものを自主制作(←言い方・・)していた私。

いつもタイムリーに見ながら、弥七の出番だけを録画した「弥七ビデオ」は、勿論最初から最後まで延々と弥七樣が続きます。

で、前記事で言ったように、弥七樣の出番は大まかに二回。

でも、最初の8:15はほぼ90%が屋根裏に潜んで悪事を盗聴する場面。

しかも悪代官たちが「そちもワルよのう」なんて「エッヘッヘ」とか悪い笑いをしているところに効果音と共に屋根裏に潜む弥七さまが映し出されるという鉄板の場面。

そして最後の大立ち回りで黄門さま側に危険が迫った8:35あたりに、いいタイミングで飛んでくる赤い風車~からの、弥七も飛んでくるというパターン。

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これだけのヘビロテを延々繰り返してみた時に思ったのは






「・・・何じゃこりゃ。」

大好きな弥七樣だけを延々見られるというのに、全然面白くない"(-""-)"


やっぱり弥七樣は、毎回の中で基本たったの二回だけの出番しかないけれども、その出番は「悪党どもが悪だくみしているところ」、実は既に弥七樣の手中に落ちちゃってんだぜ、っていう痛快さ。

そして最後の最後に、うわ、ちょっと危ないよ、っていう皆の危機にも、やっぱり弥七樣が抜かりなく出て来て助けちゃうんだぜ、というぬかりなさ。

実は黄門さまや助さん格さんという主役級よりもいい仕事をし、たった二回の出番だけで、一人で根こそぎ「いいとこをかっさらっていっちゃうよ。」っていう、水戸黄門は風車の弥七一人勝ち説(ハザカイ持論)が「水戸黄門」の中で際立っているからこそのカッコ良さ。

だから、ストーリー全部がないとせっかくのいいとこ取りが「いいとこ」とわからないって事になっちゃってる、という事。

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それは超絶面白い漫画のイラスト集を買ってしまった時にも同様に抱いた感覚。

弥七さまはドラマの中では一人勝ち(←あくまでハザカイ説)だけれども、ドラマ全体として見た時には所詮ドラマを盛り上げる為のスパイスでしかない・・・くうぅ~、切ないけどもコレが現実だぜ弥七樣よぉ。

みんないるから、それぞれ補い合い、コントラストができて、それぞれが際立つ。みんないるからみんないい。みんなちがってみんないい。

正義の味方は悪者がいないと正義の味方という定義さえ成り立たない。


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さすが弥七さま、身を以て最後までいい事を教えてくれたぜ。

アディオス、弥七ビデオ!


*ちなみに「みんなちがってみんないい」は金子みすゞさんの言葉です。相田みつをさんじゃないお(←ごっちゃになってた人)


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