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コミュ障、患者会へ行く

乳がんの患者会に参加した事があった。
参加者は、若い方から、お年寄りまで、二十人ほど。

まず、参加して良かった点

自分の周りの世界にそういう方がいない為、自分ひとりだけが”モノクロームの世界”に迷い込んでしまったような孤独感、迷走感を感じて寂しかったけれど、

同病の方を目の当たりにすることで、この世界に”仲間がいる”と思えた。


参加して悪かった点。

というか、超えにくいと思った壁について。

がんと一様にいうけれど、がんの性質は千差万別だ。とてもおとなしいものもあれば、暴れん坊もいる。人の性格のように(-_-;)

本来は、ひとつの病気として、簡単に括くるようなものでは、ないのかも?

若い年代で進んだ病状の方もいれば、お年寄りになっておとなしいがんとして発病する方もいる。

発病時の状況も、結婚してる人もいれば未婚の方もいる。

実際、行っている治療に関しても、個々違う。そう思うと、同じ病気だから集っているけれど、まるで、違う風にも思えてくる。


自分が闘病中、貫いていたのは、”自分の心に、無理はしない”という姿勢。端的にいえば、無理な交流はしない。という選択もあり!と思ったのだ。

これは、相手ではなく、完全に自分の内側にある問題かもしれない。自分の外側から感じる”何か人に言われて嫌な感じ”などは、

自分の心の中にある、自分の嫌な部分が起源で、発端の事が多く、相手どうこうではない時も多い。

なんでも受け入れられる心のキャパがある状態なら、誰に何を言われようが、自分の心と相手の心をしっかり見極めて、

太刀打ちもできる気がするけれど、

弱っている時ほど頭がまわらない。

傷ついている時の、他者との深い交流は、慎重であるべきかもしれない。と思ったのだ。


とはいえ、他者との交流で、傷つくばかりではなく、勇気をもらえる事もある。知りあいの乳がん経験者の外科看護師さんに、

「みなさん、ガンと知った時はショックをうけるけど、ほとんどの人が、ちゃんと気持ちを切り替えて、前向きに、頑張られるのよ。あなたも頑張って!」と声をかけてもらった。…嬉しかったぁ(*'ω'*)


よく、がん患者の方で、優しく、明るく、強く、人に勇気を与えていらっしゃる方がいるけれど…

自分的には、”がんの人だから”そうだ。というより…”元から、そういう気質を持った人なんじゃないのかな?”と思うんだ。

ガンの、障害者の、被災者の、○○の、とかいう冠は、その人を表すほんの一部で、

かわいそうな○○さん、というのも、そう。かわいそうがそぐわないパーソナリティの人に、

まわりが、かわいそうだといったところで、

「全然、自分では、そうは思ってないけど」という返事が返ってくるのも、当然のこと。

その人は、その人だ!!!

どこまでいっても、個性も、好きなものも嫌いなものも、ただ、その人だ。


大きな病気などは、”様々な気づきのきっかけ”になるかもしれないけど、みんな、人間的に優れるわけでもなく、思いやりに溢れるわけでもなく、

ダメダメっぷりを、ナマケモノっぷりを、コミュ障っぷりを、遺憾なく発揮している者もいるのだ(爆)この、私のように(*´▽`*)


そして、自分みたいに、”器が小さく、コミュ障”みたいなタイプに親和性が良いのでは?と思うのがネットやSNSだ。

患者会で、バリバリご本人と話すのもいいけど、

そっと、傷つかず、ほんの少し聞きたい知りたい。聞いて欲しい。くらいの在り方。とかく、悪く言われがちのSNSだが、

この、ほわっとして、匿名もありで、

でも、存在がダイレクトにつながる、知れる、この感じ(=゚ω゚)ノ


今の時代にあっては、SNSと悪意はセットかもしれないが、

悪意をぶつけてくる人が、もしいれば、そこは、

悪意というコミュニケーションの取り方しか知らない、ちょっと残念な人”として、水洗トイレで流して置けばよい。意図的に”う〇こ”と同じ扱いにさせてもらう。

…。(*´Д`)

(真剣な顔をして記事を書き始めたのに、

う〇こに辿り着いてしまったよ( ;∀;))

今日は、このあたりで終わった方がよい?うん、わかった。終わる。

#病気 #闘病 #乳ガン #がん   #癌 #体験談 #医療 #日記 #SNS

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