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『マルクス・ガブリエルの哲学』人新世の現代思想入門

確かにガブリエルのブームは落ち着いたように思う。

ドイツっぽさが、私たちに合うのかどうか。そういう問題はありそうです。

これはフランスらしさの受容と同じで、現代思想の感性ではないでしょうか。

『マルクス・ガブリエルの哲学』菅原潤を扱います。この本は、ガブリエルの本当の姿を垣間見えるような体験でした。

第一部では、本書を読んでいきます。本当に難しいです。

続く第二部では、本書を離れてガブリエルの周辺を日本の現代思想との関連を考えてみます。

4700文字。長め。


第一部:『マルクス・ガブリエルの哲学』3つの主著

本書では、主著として3冊挙げています。

『意義の諸領野』
『諸々のフィクション』
『暗黒時代における道徳的進歩』

この作品の解説をして、ガブリエルの哲学の全体を見通すことが目的です。

『意義の諸領野』難易度80%

この本では、ガブリエルの独自の思想を「無世界観」で表します。『なぜ世界は存在しないのか』で説明されていたものです。

より専門的な内容となっていて、二部構成になります。

第一部:消極的存在論

存在論を考える場合、一般的な直接のアプローチが誤っていて(近代哲学の主観・客観の考えを批判していると思われます。)、ラッセルを引用して「性質」を考える存在論になっています。

この場合の「性質」はフィクションでも通用するような形の無い概念です。

ラッセルはアインシュタインとの共同で行った宣言が有名で、20世紀を代表する哲学者です。

ガブリエルは、前世紀の哲学者の議論を積極的に活用しています。他には、論理学フレーゲ、ウィトゲンシュタインの解釈で知られるクリプキです。

『意義の諸領野』では、「領野」という用語を使いますが「領域」よりも抽象的だが本質的なものというニュアンスがあります。

第二部:消極的存在論では「意義」に注目。意義の領野は、平坦な(フラット)存在論となっているそうです。

意義の領野には「必然性」「偶然性」でも無い。

これは、解りにくい表現になります。

論理学や数学の考えを駆使して、ガブリエルが考えた回答は、このような複雑なものとなっています。

さらに「あらゆる〇〇」という場合の「あらゆる」という概念は存在しないという独自の思想になっています。

以上で「世界は存在しない」という説明になります。

『諸々のフィクション』難易度100%

こちらは、かなりハイレベルな気がします。

フィクション的実存論として、無世界(世界は存在しない)を応用する形で、「人文学的な先回りのできなさのテーゼ」を掲げます。

人間の知覚の錯覚・誤認に注目して、可謬性の議論で、フィクションにもリアリティがあることを指摘します。

物語の主人公が体験することが、その場所ではリアルな体験になる。不思議な国のアリスは、現実世界だということになるかもしれません。

これは、社会的に作られる事実(例えば国家の正統性や起源)と、フィクションを同じように扱うということでしょうか。

このような思考実験を行うことによって、「理性の社会性」という普遍的なものを導入して、人間とは何かを倫理的に問うという主張です。

『意義の諸領野』を発展して展開していくものですので、前提条件がないと難解な印象です。『意義の諸領野』の翻訳は非常に待たれるところかもしれません。

『暗黒時代における道徳的進歩』難易度60%おすすめ

この作品は、SNSやAIによって支配された社会がステレオタイプの画一的本質から離れている暗黒時代を定義しています。

彼の用語「道徳的事実」は、客観的で一切の時代に通用する普遍的価値観です。そういった人間性に基づいて、イデオロギーに対抗するような思想を意図しています。

プルデュー「ハビトゥス」などの社会的に発生する事実を、画一的なステレオタイプと比較します。

このようにドイツ観念論っぽい理想的な思想を、現代思想含む社会科学全般の中で問い直すという発想が、彼の特徴だと思われます。ビッグ・ヒストリーを別の視点で考える事に、役立つのではないでしょうか。

英語版が日本でも手に入ります。

普遍的な道徳(倫理)についてはガブリエルの日本でのスピーチも参考になります。

英語になりますが、道徳(倫理)を、助けを求める子供と飲みたい酒の選択から道徳の普遍性を論じています。

本書の意義(意味)

気になったのは、政治的なポジションが日本政治批判になっていて、その言説の正誤は少し迷う部分はあります。

現代史は時間を置いて評価するべきだけど、今はそれをスピーディに処理しなければならないような現在性は重視されます。その点では、著者の菅原さんに同意します。

当然に、ガブリエルの思想がそういった政治哲学を志向するような包括的な哲学であって、同一の趣旨であることは間違いありません。

とりわけ、ガブリエルをめぐる日本国内の解釈が、彼の全体の思想を展望しておらず、日本の学術と出版が、フランス現代思想と英米の哲学に最適化されている。この構造的な問題は重要だ。

重要な思想は、日本国内で共有され議論されるべきだと思います。

本書でも、重要な人物ハーバーマスが、アドルノから言われた一言。

「解釈を読むのではなく、原典にあたれ」

これは、非常に説得力があるように思われて、哲学・思想の重要文献はNetflixの大作みたいに言語の壁を超えられるはず。

翻訳のテクノロジーは、最適化をすれば解決出来るはずです。

ひとつは、ドラえもんについての哲学ですが、彼の存在について考えることは、AIについての新しい考えについて重要だと思います。

完全に「人間でない」AIは有り得ないのかもしれません。

第2部:ジジェク・ガブリエル・斎藤幸平

ここからは、関連する思想をみていきます。

『神話・狂気・嘲笑』で、ガブリエルの紹介をしたグループが斎藤さんです。それ以降、あらゆるメディアで彼の思想をアピールされてます。

共著のスロヴェニア出身のジジェクは、マルクス・ヘーゲル主義を自称するラカン派の心理学です。

大著『パララックス・ビュー』のように、近現代の主観(自己)を多角的に精神分析し、本来的な社会のあり方を論じます。

ガブリエルは、ジジェクのドイツ観念論(カントからヘーゲル、それからシェリング)を重視した上で、独自の思想を構成します。

現代の哲学の主流「心の哲学」「分析哲学」は、英米を中心としたものに対して、ガブリエルはドイツ的なものを重視します。

 AI論について

AIと人間を同一視するような思想、過激な物理主義に対するポジショニングは徹底しています。

映画『エクス・マキナ』では人間とAI(アンドロイド)との関係性が描かれています。「赤い」という感覚は何か、人間はAIにだまされないか、芸術論はAIに成立するか。

近年では、AIに関する思想もあって、議論は激化しそうです。

今井むつみ他『言語の本質』では、人間の本来的な何かを重視する発想法で、心の哲学の問題を交通整理しています。

哲学的な新しいものを生む力と、赤ちゃんから始まる言語コミュニケーションの感覚が、人間の本質であって、無機質なAI論は物理主義的であると、しりぞけます。

それでも、人とAIをへだてる壁は、あいまいでもある。

個人の感想では、AIのアウトプットは、ほぼ人間だが内部はブラックボックス化している。同様に人間の内部もブラックボックスである。これが哲学のテーマだと思います。

絶対に知りえないものがある。

思弁的実存主義のグループは、この点に異なるアプローチを採っています。

トリプル「O」の思弁的実存主義

ガブリエルのポジション戦略は、思弁的実存主義を否定する事になります。(ハーマンというよりはメイヤスー批判です。)

感覚の思想家グレアム・ハーマン。アート論で影響力のある人です。

現象学フッサールを、対象(オブジェクト)の関係性に用いて、独自のハイデッガー解釈を展開します。(『四方対象』

論旨が明確なので、批評し易い印象を持ちます。

カンタン・メイヤスーにいくと、彼は祖先以前性という思考実験によって、人間が生まれる前の哲学について検討します。ドイツ観念論によって生み出された近代を、痛烈に否定する戦略です。

相関主義で、まとめられる哲学者達の営みを、ラディカルな必然性(偶然性の必然性)によって表現します。数学的な思想を徹底しています。

近代哲学の問題点をとらえている一方で、千葉雅也さんが言及するように、メイヤスーの倫理的な前提を考えないといけない点で難解です。

哲学の歴史では、永遠に求める謎で、X項は常に付きまといます。

今後、彼の研究進めば、影響力は増していく可能性もある。

脱成長・脱構築メカニズム。日本哲学のX。

以下で、私の整理を紹介します。

脱成長:斎藤幸平『人新世の資本論』では、新MEGA(マルクス全集の再解釈)によって、コミュニズムが成立するという大仰な思想を展開しています。

ポイントは、論破不可能性

こう考えます。斎藤さんの思想は、近代の観念論(マルクス・ヘーゲル)を重視しているが、現代思想の基本戦略を踏襲するような相対性を有しており、根本的な反論が難しい枠組みとなっている。

何か新しい考えに向かうような前向きさがあるということです。

脱構築:フランス現代思想に代表されるような、相対的ポジションは近代の問題意識を発展させて考えるために重要なツールである。

中世哲学(山内志郎)に見られるような存在論を、ドゥルーズから発展させるような思想が重要です。(國分功一郎さんの思想に優位にみられるパターンです)

メイヤスーに顕著なように、未来へ向けた思想となっていて、新しい何かに向かう営みは論破不可能性を有する

結論:つまり脱成長に表現されような活動と、脱構築に表象されるような未来を、別々の思想として整理する必要がある。

まとめ

極論にいくとジジェクの批評で、圧倒的に正しい自己が世界を構成するという妄想を、人は行う。

このような大きな物語は当然否定されます。

ハッシュタグで表象される自己は、多角化・多様化の分脈です。それによって単一な価値観は成立しにくい。心理学・哲学から、あらゆる社会科学からの自己分析が必要だ。

大きな俺は、俺の口(マウス)よりも小さい。(つまり謙虚だ)

内省的な理性は重要だけど、定義できない部分もある。

相対主義があって、相関主義と呼ぶグループもいる。ところが、絶対的な自己は、例えば90年代以降の「自分探し」の結果としては発見できませんでした。

これは、あらゆる哲学=(ほぼ)学問であるのですが、その奥義はバベル(バブル)の様相を示し、最も近づいた時には手に届かないくらい離れているような二律背反する運命です。

そのような観念論としてカントを重視するのは、納得感はあります。その一方で、カント以後、中世キリスト教以後、古代ギリシャ以後と異なるフェーズのチェス・ゲーム(言語ゲーム)に興じても、あらゆるゲームに定石は存在しなかった。

アリストテレスの演劇論では、悲劇のみが伝えられた。

社会は悲劇的な出来事のみによって記述される。本当か。

そのような現実に対する倫理性は・・・。

・脱成長は、現実の活動にあって未来に至る。

・脱構築は、未来にあって、その活動を創らなければならない。

つまり、異なる哲学的なアプローチは、未来をめぐる時間軸とベクトルが違って、互いに相反するものです。

前を見るか、後ろを見るか。現実と過去・未来は複雑に絡み合って、それを考える哲学・思想も一般からは、かけ離れた難しさを競いあっています。

本書『マルクス・ガブリエルの哲学』で、示された思想は、とりわけ政治哲学の倫理性に特色があるものになっていると思います。

彼の思想から学ぶことは多い、その解釈をめぐって新しい思想が生まれる余地はある。

いい本です。

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