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認知のパラダイムシフトが起きた話

こんにちは。むーみんです。

今回は、【認知のパラダイムシフト】に関するお話です。

本題に入る前に、少しだけ好きな本の話をさせてください。

私が好きな本の一つに、『ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい』という本があります。

この本は、自閉症の息子ジェイクを持つ母親による自叙伝で、本のメインテーマは「できないことではなく、できることに目を向ける」です。
表現を変えると、少し遠い表現にはなってしまいますが、「得意を伸ばす」としても大きくは外れないと思います。

なぜこの本が好きかというと、完璧主義者である自分が、この本を読んで少しだけ救われたからです。
幼少期からずっとできないことばかりに目が向き、目についたできないことができるようになっては、次のできないことを克服する、というループをずっと繰り返してきた人生でした。

もちろん、自分自身に満足したことなんて一度もありません。
ずっと「(自分ができないことができる)みんなよりも劣っている」と思い続けてきたので、息苦しい人生を送ってきました。

書店でこの本を目にした時、宇宙が好きな学者の熱い想いが綴られていると思い、その熱意に触れたくて手に取ったことを覚えています。

実際はまったく違う内容だったため当ては大きく外れたのですが笑、読んでいて涙が出てくるほど、その時の(今も?)自分にとっては必要な本でした。出会うべくして出会ったのだと思います。

年100冊以上本を読み始めるようになってからもうすぐ3年経ちますが、未だにこの本を超える本には出会っていません。


さて、前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

乗り越えられない壁

私は現在副業でライターとして活動しています。

ライティングは天職なのか?」の記事にも書いた通り、ライターの仕事は向いているなと思っています。個人としての適性も感じていて、周りからも褒めていただけるので、ライターをしている時の自己肯定感は非常に高いです笑

前置きでも書いた通り、ずっと自己肯定感の低い人生を過ごしてきたので、人から褒められることが嬉しい、ということもライターのお仕事を通じて学んだことの一つです。

ただ、ライターの適性はあっても、ずっと苦しんでいたことがありました。

それは、セルフブランディングです。こちらの記事でも書いていますが、文章を書くことや人、モノを紹介することは好きですが、自分の訴求ポイントを見つけることが非常に苦手です。

スクールの中で自分のストーリーを書いてみる、という課題があるのですが、一つのことにずっと悩み続け、書き上げられずにいました。

私が悩んでいたこととは、「自分が一番輝いた過去」です。

マイナスの経験や記憶は嫌になるほどたくさん思い出せるのに、自分が輝いた過去は、何度思い返しても思い出せませんでした。

ストーリーとして、マイナスからプラスへの振れ幅が描ければ、魅力的になるというロジックは分かっていても、ストーリーを輝かせるプラスの経験がまったくといっていいほど見つけられなかったのです。

ストーリーを書き上げられずに留まっている私とは対照的に、周りの人がどんどんストーリーを仕上げていく様子を見ていて、羨ましい気持ちでいっぱいでした。同時に、プラスの経験がない自分は、ストーリーがなくてもできそうな SEO 記事を執筆するライターを目指そうかな、と考えていました。

そんなことを考えていてスクールの活動からも遠ざかっていた時、突然、こんな話を耳にします。

ストーリーを書き上げる合宿を開催します!

自分のストーリー作成から逃げて、SEO 記事のライターを目指そうとしていた自分の目の前に、突然分岐が立ち現れたかのようでした。


ストーリー作成を諦めるか?覚悟を決めて向き合うか?


そんなことを問われているように感じました。


すべては認知の問題

悩みに悩んだ挙句、ストーリー作成から逃げていた自分の尻を叩き、合宿に参加することにしました。(実は合宿に参加する、と決めたのは合宿の1週間前でした。運営の皆様にはご迷惑をお掛けしました。本当にすみません。。。)

合宿を終えた今、思うことは、「合宿に参加する」と決めた自分の決断を称えたいです。

冒頭の本の話と同じですが、今の自分にとって必要なタイミングだったのだと思います。


一番大きな変化は、認知のパラダイムシフトが起きた点です。


合宿の2日目に、3人1組になり、ストーリーの構成を作り上げるワークがあり、グループの中でマイナスの経験と、自分がライターとしてやりたいこと、そう思うようになった原体験について話していました。

その時に、メンバーからこんなことを言われました。


"むーみんの凄さは、結果ではなくて、過程にあると思う。
だから人から気付かれにくいし、自分でも当たり前だと思っていることだから、自分でもその凄さに気付いていないんだと思う。
だから、どんなに些細なことでもいいから、過去の話を note にまとめてほしい。"

"タスク整理みたいな細かい作業が得意、って話していたけど、派手なことが好きな僕らからしたら、そういう人の存在がもの凄く助かるし、凄いなって思う。そういうところで輝いた瞬間って、きっとたくさんあると思う。"

同じグループの二人からそう言われた時に、似たようなことを言われた過去が脳裏にいくつもパパパッと浮かんできました。

例えば

・チームでブレストをしていて、その内容をまとめるフェーズに入った時に、話した内容をまとめるためのフレームワークを書いた紙を出した時

・遠征前日に、スケジュール担当者がスケジュールを組めていなくて、2時間くらいでささっとスケジュールを組んでしおりを作成した時

・友人のクラウドファンディング立ち上げを手伝った時、いっぱいいっぱいになっていた友人を見て、クラウドファンディングのページローンチまでに必要なタスクを一晩で洗い出した時

自分にとっては何でもないことだと思っていたし、その時たまたま自分の手が空いていたからやっただけで誰でもできることだと思っていたので、全く気に留めていなかったのですが、もしかしたら違ったのかもな、とその時初めて思いました。

今まで、自分が輝いた過去=優勝した経験や、表彰された経験のような華々しい過去、という認知だったため、全然そんな経験ないな。。。と思っていました。

ようやく完璧主義な自分から脱し始めていたところに、できない自分を突きつけられたように感じて、完璧主義を追い求めるループに引き戻されそうになっていました。

でも、たとえ優しい嘘だったとしても、周りから言われるままに、自分の些細な行動で人から感謝されたことを思い返してみると、意外と色々あったな、と思いました。

そう思った時、心がふっと軽くなったんです。

今の自分は、完璧を追い求める自分から見れば足りないところはたくさんある。でも、そう思うことで辛いと感じるならば、自分が当たり前にできることが自分の才能で、自分はすでに多くの才能を持っている、といい勘違いをした方が幸せなのではないか。

もちろん、そう思ったからとて、次の1秒から完璧主義の自分を脱して自己肯定感の高い自分に生まれ変わる、なんてことはありません。

20年近く完璧主義を追い求めてきたので、その自分から完全に脱するにはまだまだ時間がかかると思います。完全に脱するよりも、自分の中に潜む完璧主義な自分と自己肯定感の高い自分が共存したままで、その占有率が変わるだけかもしれません。

それでも、完璧主義な自分 100% だった頃に比べれば、幾分生きやすくなったと思います。

できない自分ばかりを見て、辛くて、苦しい気持ちで毎日過ごすよりも、適度に勘違いをして、できない自分も許してあげられる、そんな毎日をこれから過ごしていきたいです。

最後に、こちらを紹介して締めくくりたいと思います。

色メガネという言葉があるけれど、人は誰しも物事を見るメガネを心にかけている。そして、「自分」というレンズを取り外すことができない。
それならば、ネガティブばかりを見つめるのではなく、小さくてもいい、自分の幸福を見つけられるメガネを育てていこう。

『それ、勝手な決めつけかもよ?』より


それでは、また次の記事でお会いしましょう!







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