見出し画像

【不妊治療⓵】不妊治療のスタートラインで痛感したこと

子宮卵管造影検査が怖くて仕方がない。
痛すぎて気絶した、痛みで震えが止まらなかった、痛くて吐いた…etc
陣痛の痛みとはまた質が違う、不妊治療で一番痛いとも言われる検査…
調べれば調べるほど、恐怖がつのる。
こんな痛みに憶病な私が不妊治療をすることになるとは…。

治療に入ったら来るだろう、数々の痛み。
自分の中でムクムクと恐怖だけが膨れ上がり、お化けのように私に襲いかかる。
押し潰されそうだ。

実際の痛みがどれほどなのかなんて、誰も教えてくれない。
その時の私にしかわからない。
そんなことは分かってる。
どこまでいっても、結局は個体差で、自分の感じ方次第だ。
そんなこと頭ではわかっているけど、救いや安心を求めて、検索魔になっては妄想する。
ひとしきりこれを繰り返し、エネルギーを消耗しないことには、やめられないのだろうな…。
そう思いながら、他人から見れば無意味な【心配時間】を過ごしている。

医学的な治療全般にいえることだが、結局究極、人間は個体差に満ちており、最後はいつもそこにたどり着く。
一般的な目安はあっても、最終的には「人によって違うのだ」と。
不確かなことだらけで、考えたって仕方のないことのオンパレードだ。

それでもやっぱり、不妊治療は普通の医療とは決定的に違う。

相手がいるということ。
夫婦で一緒に取り組むということ。

妊娠というゴールは同じでも、そのプロセスに正解がないこと。
そもそも治療自体が自分達の意志で始まり、正解のない中で、その都度夫婦の判断が求められる。

そのくせ、自分達ではコントロールできない部分が、とても多いこと。

そして、やめようと思えばいつでもやめられること。


それでも、医療行為による痛みがあったり、身体に不調をきたすとなると、やっぱり治療なのだとは思う。


これまでの人生。憶病で心配性な私は、いつも慎重で、なるべく先を見通して心の準備をするのが常だった。

でも、不妊治療にはそれが全く通用しない。

人によって違う。
考えてもどうしようもない。
自分だけではどうにもならない。
やってみなけりゃわからない。

そりゃそうだ…。生き物だもんな…。

生命として当たり前のことを、ここにきてあらためて突き付けられた感じがする。

でも、そんな心配性で頭でっかちだったから
神様は私に「一日一日、ただ目の前の時間に集中するように」と課題を出したのかもしれない…。そうも思った。

ここにきて、自分でできることは多くない。
人と比べず、自分を見つめ、ただ目の前の時間だけに集中して過ごすこと。
そして身体のことである以上、生活を大切にして毎日を重ねること。
できるだけ楽しく。

本来なら素朴で何てことないことだけど、恐怖や雑念ばかりが頭をよぎる今の私には、かなり難しい。

でも、これができるようになれば、きっともう少し強くなった自分に会えるだろうか…。
不安を真っさらに消せなくてもいい。
ずっとそうやって生きてきたんだから、不安に感じないなんて無理だもん。
不安を受け止めながら、いつもより少しだけでいい…「今、目の前」にエネルギーを注いでみよう。


不妊治療のスタートラインに立って、ようやく、素朴に生きることを大切にしてみようと思えた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?